| more 山口正己の歴史
●1951年12月15日
⇒神奈川県相模湖町のキャンプ場の
経営者の長男として生まれる。
●1960年代初頭
⇒親父が庭先で、「お〜い、クルマ買ってきたゾォ!」
と絶叫する。その親父が愛読していたモーターファン誌を
ペラペラめくるのが好きになる。
●1968年頃
⇒近所ゴルフ場“津久井湖ゴルフクラブ”で
キャディのバイト。ただし、冬休みと春休みだけ。
夏休みは、キャンプ場の手伝いに終始。
勤労の少年時代を過ごす。
●1968年11月
⇒富士スピードウェイで行なわれた
“日本CAN-AM”で初現場レースを
ヘアピンの土手で体験。
最終コーナー(現在の1コーナー)から
立ち上がるアメリカンV8の大群が発する大音響を、
雷だと思って仰天。
その衝撃から立ち直れずに現在に至る。
●1972年4月
⇒高校を卒業して2年後に、
千葉工業大学に裏口入学。卒業したのは5年後。
パチンコとマージャンに明け暮れるつつ自動車部主将。
●1976年
⇒富士スピードウェイで行なわれた
日本初のF1『F1世界選手権 in JAPAN』から、
編集部員としてF1を含む約100戦の
海外レースと約300戦の国内レースを取材。
ホントは見学かもしれないが、
内外のドライバーや関係者との交友関係は、
額と同じくらい広い。
●1977年4月
⇒二浪の後に入学した千葉工業大学機械工学部を、
1年留年して卒業。卒論は
『レーシングカーのボディ形状に見る空気力学的考察』。
題材だけはハイレベル。卒業と同時に、
『月刊オートテクニック』の編集部員として
(株)山海堂に正式入社。
●1980年代前半
⇒ダートトライアルにはまる。
優勝多数(実は3回だが、1回ぢゃないので多数。
どこぞの奥地では“ひとつ、ふたつ、たくさん”と言うもの)。
●1986年
⇒『オートテクニック』編集長に。
●1987年
⇒1987年に他に先駆けたF1速報誌として、
『GPX』を発明・開発。月刊でも週刊でもない
“グランプリ刊”という発売形態を構築。
年間2億円の収益を記録、山海堂を倒産の危機から救う。
しかしその後、金遣いの粗さから、
同社を窮地に追い込む(ウソ)。
●1992年9月
⇒初ゴルフ。その時のメンバーが豪華。
初代ホンダF1監督の中村良夫さんと、
現在ザウバーの当時ホンダの監督の後藤治さんだもの。
その後、鈴木亜久里さん、片山右京さん、
エディ・ジョーダンの奥さん、星野一義さん、
近藤真彦さん、安部譲二さん、加納典明さん、
冨田TMG会長などともラウンド。
2000年の暮に一緒にコンペに出た
服部尚貴と脇坂寿一が、2001年のFポン開幕戦で
1-2フィニッシュしたのは、私のおかげ(違うと思う)。
●1996年6月
⇒会社をクビにして独立。情けないことに、
クビにした会社から退職金をもらっちゃったが。
デザイニング・モータースポーツ マイズ代表に。
●1997年7月
⇒メジャーゴルフトーナメントである
全英オープンを見物。私の存在に緊張した
タイガー・ウッズが大叩き(違うと思う)。
●1997年12月
⇒初のゴルフ原稿が週刊ゴルフダイジェストに。
フィジー出身のディニッシュ・チャンドを
題材にしたそのノンフィクションは、
そうそうたるメンバーに混じって、
傑作を集めた単行本の1作に選ばれた。
実力だ(題材の良さとラッキーだって)。
●1999年7月
⇒Racing Culture Analysisマガジン
『F1 Quality』を創刊。
●2001年4月
⇒日本モータースポーツ研究所を創設。
●2001年5月
⇒“山ちゃん幸福のトビラ”スタート。
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