昨日までの本日の山口正己
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5月2日

昨日から女房のお袋がご来場なので緊張気味(笑)。80歳の声を聞いて少々気が弱くなり周囲が羨ましくなって元気がなくなっていたけれど、快復傾向でめでたし。鹿児島の川内(センダイと読む。“かごしまのせんだい”というと、必ず冗談に受け取られる。ちなみに女房の旧姓は知識ってんだから、これも冗談みたいだ)の田舎から出てきたもんだから、ことあるごとに「東京にはなんでもあるなぁ」が口癖になっていて、「実は東京には何にもないんだよ」と言っても、「また、そげんこと」と相手にしてくれない。

携帯電話が壊れた。1週間ほど前から画面がブラックアウト。一度は八王子駅前のドコモに持参したものの、窓口のあまりの慇懃無礼さに「それではけっこうです」と退散した。水に濡れた証拠がある、とのことだが、そんな覚えはないと言うと、「手に汗をかいただけでもなります」といけしゃあしゃあときたので、“そんな不良品を売りつけないように”、とあきれて帰って来た。そのときはヒンジを一端閉じると画面が現れたので、不便だがまぁ我慢すれば使えると思ったのだが、完全に画面が現れなくなった。
ままよ、と機種変更を思い立ったが、西八王子駅前の親切な携帯ショップで、1年以内だと2万円ほど余計にかかることを知った。仕方なく八王子駅前のビルの4階のドコモを再訪問。幸か不幸か先日と同じ担当者だったので、丁重に「アナタには用はないです」とお断りして、代わりの女性担当者と徹底ディベート。言ってることは間違いないが、基本的に通話料で稼いでいる相手(つまり客)が電話が壊れて困っていることよりも、“自分たちに責任がない”という説明ばかりしたがる。代替機を借りる時には、「こちらをお貸ししますが、壊した場合は5000円いただきます」と、なんともご親切なことよ。帰るまで1時間半もかかった。黙って聞かないオマエが悪い? 確かに(笑)。しかし、日本人は文句を言わなすぎ。同じような気分を持ちながら、我慢して泣き寝入りしている人が相当数いるに違いない。自分の都合ばかりを押しつけるところは税金ドロボーの天下りと一緒だ。こんなことなら、去年9月になくした時に他社に乗り換えればよかった。と、ここで天の声。「ドコモでなくてもドコデモ一緒だよ」。またムカついてきた(笑)。


5月1日

時が経つのは早い。昨日まで136円だったハイオクが、アッと言う間に176円だもの。関係ないか。しかし、ガソリン価格ってどうよ。確かに、リッター40円高くなったら痛い値上げに違いない。しかし、40円高くなったとしても、50リッター入れて2000円。2000円で、燃費が決してよろしくない我がM3でも、気をつければ550Kmは走る。もてぎに行って富士を往復して余る。新宿を往復して、中央ライナーに乗ったら2360円だと言うことを考えれば、そう大騒ぎすることでもない気がする。もちろん、その使い道は気になるが。いずれにしろ、要らん天下りが持っていくことになるのだろうが、それより、「やすくなったので遠出しました」という素敵な意見があった。安くなった=タダになった、もしくは、なんだか得した、と思えるのは幸せだ。



4月29日

4月22日にアムステルダム経由でバルセロナへ。2月のテスト以来、久々のヨーロッパ時差のせいか、到着した日からドッと疲れて気合が入らず。池田さん亡き後の初現場ということで、何かと感傷的な心持になる。さらに、考えたら2年前に顔面麻痺になったのはバルセロナであった。今回は朝異変に気付いたそのホテルだし(笑)。その日はスーパー・アグリのシェイクダウンの日。まありの遅さが気になって顔面神経が壊れた(でもないか)。しかし、今回もスーパー・アグリが危ない状況というシチュエーションだったが、今回は何も起きなかった。当たり前か。そのままスペインGPを見物して28日の夜便で成田到着は29日夜。機内でずっと寝っぱなし。今晩寝たら疲れが取れていることを祈りたい。


4月22日

しばしのご無沙汰を許してもらえそうなお知らせです。友人から心温まるプレゼンが届きました。音を出して見るように、とのご説。こんなにいいCFが日本にもあったのか! さらに、これを届けてくれたF氏は、CFメーカーのライバル会社の社員というオマケ付き。人は存在そのものではなくて、発するバイブレーションがずっとずっと生きている、ということが認識できて、安心して狭い機内にもぐり込めます。本日からスペイン。スーパーアグリのバイブレーションは、いかに。

4月9日

クルマ業界の仲間が集まるグリーンサロン研修会。今回は池田さんの追悼も兼ねて、ということが全員一致で決定。御殿場の富士カントリークラブで楽しい1日だったのだが、それにしても、昨日の台風のような雨がウソみたいな晴天。さらに明日は再び雨の予報。まさに池田さんは、みんなが楽しむのを見て喜ぶ人だったことがここでも証明された。
その池田さん、ドライバー誌に入る前は、ナント! ゴルフのレッスン・プロだったという事実が判明した。それをまったくオクビにも出さなかったことも、池田さんらしかったけれど、そうと知らないこっちは、何度偉そうなゴルフ講釈をしたことか。人が悪いよなぁ。コンペのパーティは、そのことを含め、池田さんを忍んで盛り上がった。スコアは盛り下がったm(__)mけれど、池田さんは楽しいことが好きだったので許してくれますよね。
今日のコンペの収穫がもうひとつ。ガンさんこと黒沢元治さんが、41/43のベスグロ。老いてますますご健勝のガンさんであった。
4月7日と8日

バーレーンGPをパスして在日日本人。あっと言う間に1週間が過ぎた。
池田さんが亡くなってから1週間後に通夜と告別式。友人代表の石居さんのあいさつを聞いて泣き、献杯のあいさつをさせていただきながらまた泣いた。池田さん、泣き虫でごめんなさい。外が雨だったので、こっちも雨でもしょうがない、ということでお許しを。
しかし、新たな発見。これは終りではなくて始まりだということが分かった。池田さんの会社は、オールスター・オフィスという。どうしてそういう名前なのか分かったのだ。池田さんは、みんなが楽しそうなのを見て喜ぶ人だった。オレがオレがではない。つまり、オールスターという名前は、“みんなで”という意味だったに違いない。準備を済ませて池田さんは旅立った。「あとはみんなで楽しんでよ」。
東京は台風のような荒れた空模様。代々幡斎場の桜は散り、来年を準備する葉桜になっていた。


3月30日

昨日“巨星”と書いたらFIA前会長のバレストルと思われた方がいた。大変失礼しました。亡くなったばかりで日記に名前を書くのが憚れたので遠回しな表現になったけれど、れっきとした日本人。土屋圭市にドリキンと名付けた張本人にして、F1キンダーガーテンの創始者。私が兄貴のように頼りにしていた大のF1ファンでもあった池田光雄さん。初対面からはすでに30年以上も経っているけれど、オヤジが亡くなって八王子に引っ越した6年前から、高尾に住む池田さんと急速にお近づきになった。引っ越してよかった。言ってみればオヤジの遺産だ。試乗会や発表会の帰りに、電車なら東京駅から西八王子まで、クルマなら羽田に停める池田さんの愛車で家まで送ってもらいながらF1談義。“山ちゃん、おもしろいねぇ。いつか何かやろうよ”、という言葉が実現してF1キンダーガーテンがスタートした。他のサイトとちょっと違うのは、そういう池田さんの温情が根底に流れているからだ。
池田さんを思ってお世話になった人を振り返ったら、多くが末っ子か一人っ子だと気がついた。長男の私は兄貴がほしい。あちらは、弟のような存在として可愛がってくれたのかも。世の中バランスが取れるのだ。そのバランスがちょっとあやふやになった。
雨がせっかく咲いた桜を散らせてしまった。けれど、この雨は、暖かさの前触れと思うようにしよう。散り行く桜に、ご苦労さまと伝えよう。パッと咲いてハラリと散って。わびしいなぁ。
3月29日

巨星が墜ちた。最後のお見舞いはオーストラリアGPに向かう3月12日。ベッドの上の柔らかい眼差し印象的だった。お土産のケーキを見て「優しいねぇ」と言ってくれたが、声のトーンも表情も、言われたこちらの百倍は優しかった。メルボルンから戻った足でオーストラリアGPの土産話をもっていこうとしたが、一時退院するというので諦めた。なんとかなってほしいという願いは届かなかった。いまはただ、安らかにと祈るばかり。


3月18日

代々木上原のA社でO田さんと待ち合わせて、東落合の焼き肉。ウマすぎて二人で2万円も食ってしまった。ビールとマッコルリもがぶ飲み。食い過ぎ&飲み過ぎ。O田ちゃと意気投合したので、よしとしておこう。


3月19日

あっと言う間に在日時間が過ぎていく。明日は出発、と思うとなんだか落ち着かず、原稿も捗らず。長男とキンダーガーテンの表組で激論を交わし、中央線で東京駅。中華を食いつつF1をひろめよう通信の打ち合わせ。明日は、クルマでいくか電車にするか、決定できないままベッドに入る。マレーシアは、暑いだろうなぁ。


3月18日

代々木上原のA社でO田さんと待ち合わせて、東落合の焼き肉。ウマすぎて二人で2万円も食ってしまった。ビールとマッコルリもがぶ飲み。食い過ぎ&飲み過ぎ。O田ちゃと意気投合したので、よしとしておこう。


3月19日

あっと言う間に在日時間が過ぎていく。明日は出発、と思うとなんだか落ち着かず、原稿も捗らず。長男とキンダーガーテンの表組で激論を交わし、中央線で東京駅。中華を食いつつF1をひろめよう通信の打ち合わせ。明日は、クルマでいくか電車にするか、決定できないままベッドに入る。マレーシアは、暑いだろうなぁ。


3月14日

女房の誕生日。この歳になるとおめでたくない、という意見もあるが、また1年間無事だったというのはめでたいことだ。メルボルンのプレスルームからおめでとうの電話。
いよいよF1開幕戦だ。しかし、いきなりトラブルで始まった。LANの不調で通信ができない3日間でドルも取ってるんだから(といってもこれは安い方)ちゃんとしてちょうだい。聞けば、スカイプをたくさん使うので、容量が持たないでパンクしているのではないか、という噂もあったが、F1の新規則が元凶という説も。統一ECUが犯人?
各チームに配給されたECUは、去年まで使っていたものより能力が落ちる。その結果、今でも、各チームからの修整要請がメーカーであるマクラーレンに続々と届き、その対応に代用了解しました。いうを使う。だから回線がパンクした、というのだ。審議のほどは定かではないけれど、新ECUに多くの不満が噴出していることは確かなようで。
今回から、フリー走行、予選、レースの実況レポートをキンダーガーテン用に書く。終了10分後のアップが目標。楽しんでいただけますように。
9時に原稿を終え一人でチャンナタウン。一人で中華は食いすぎが見えている。


3月15日

フリー走行から原稿にかかる。予選は、Q1〜Q3をそれぞれ追いかける。面倒と思った作業が、実は展開に集中できて、とても楽しいことに気が着いた。緊迫感をもってレースを見たのは久し振りかも。レースが楽しみだ。
メルボルン市内のホテルでトヨタのメディアディナー。山科チーム代表が飛ばしまくり。こんな人がトヨタにもいらっしゃる。最後にモータースポーツ担当取締役の岡本副社長が、「山科は2年で終わるかもしれないけれど、トヨタはF1を続けます」とあいさつしてまたオオウケ。メルボルンの土曜日は、笑い声と共に楽しく更けていったのであった。


3月16日

土曜日に一端涼しくなったメルボルンは、開幕の熱気に煽られて(なワケないか)最高気温は37度。高い気温と滑り易い公道コース路面、オマケにここからトラクションコントロールが使えなくなる上に、不確定要素の多い開幕戦ときたもんだ。これだけ条件が加われば、レースの大荒れは当然の帰結か。それにしても、完走7台。バリチェロが赤信号無視でレース除外されたから、データの上では完走6台。空は飛ぶは、押し出すわ、バラバラになるわの大サービス。そうして最後はアロンソとコバライネンの抜きつ抜かれつの迫真バトル。きっと明日は、職場や学校で、“昨日のレース、凄かった!”と話題になるはずだ。今年のF1、面白くなりそうだ。


3月17日

メルボルンからシドニー経由のF1関係者満載便で成田。酒々井でラーメンを食う。久々のたぬきラーメンはやっぱ美味いや。


3月11日

品川のホテルで童夢の08ルマン・カーが変わった発表会。何が変わっているかといえば、“日本自動車レース工業会”という新しい組織の結成発表と一緒にやったこと。ついでにやったにしては、ルマン・カーのクォリティの高さと、レース工業会の構成メンバーの質の高さに思わず唸る。
林みのる会長の工業会設立の弁は、ざっとこんな感じ。
「日本は、レースを本来のあるべき姿としての“自動車の競争”としてとらえておらず結果としてドライバー偏重主義になり、その育成に大枚をつぎ込んでいるが、それが効果的に日本のレース階を成長させることにつながっていない。日本には、伸ばせば伸びるレース技術がある。これを育ててこそ、明日がある。2年前に還暦を迎えて時間がなくなったのでモサモサしている場合ではない、ということでJMIA(JAPAN MOTOR-RACING INDUSTRY ASSOCIATION)を発足した」。
JIMAは理事会で構成され、会長が林みのる、副会長にトムスの大岩湛矣、理事や監査役に、ムーンクラフトの由良拓也などが名を連ね、林会長の友人で国土交通副大臣の平井たくや衆議院議員を名誉会長に据えている。
。 すでに、安価で安全な共用シャシーや、1基200万円程の汎用レーシングエンジンの開発を始めるなど具体的な動きもあり、日本のレース界が、ググッと動きそうな予感。
しかし、「日本のレース会の不遇の責任の一端はマスコミにある。そこで、年末に最も素晴らしい記事と最もつまらない記事に賞与える予定」というのはやめて欲しい。まてよ、両部門ともいただいたら、それはそれで面白いか(笑)←笑ってる場合じゃないって。
帰りにバラの花とかすみ草を一抱え買って女房にプレゼント。明日から出かけ14日の誕生日は留守にするので、これで勘弁。近所の中華で一足早い誕生祝。こんなに美味い店、どうして5年も気付かなかったんだ!


3月12日

開幕戦が近づくと、なんだかんだドタバタやっているうちに瞬間的に時間が過ぎる。アッというまに出発時間。仙川経由で成田に向う。途中でロッテ葛西ゴルフによって150発。こういう余裕はある(^-^)/。


3月13日

朝9時にシドニーに到着。10時30分のメルボルン行きを待っていると、U京ちゃんやM脇さん、トヨタのT橋さんやN嶋さんも一緒のフライトであった。彼らは前の席、こっちはスリップストリームも効かない後ろの席なので、気付かなかった。
昼過ぎに到着したメルボルンは暑い! しかし、寒いよりははるかに幸せだ。明日から始まる開幕戦が、この暑さで波乱の予感。
3月10日

雨上がりの中央線。新宿から代々木、大江戸線で六本木。大江戸線は潜りすぎで時間はかかるし、地震になったらと思うと乗るたびに怖い。なにしろ、駅に到着してから地上に出るまで延々エスカレーターで5分はかかって時間が読めない。ということで、13時30分からのホンダのF1発表会にはギリギリの滑り込み。
ちょっと緊張のスーパーアグリの正式発表。亜久里代表は変わらず、二人のドライバーも同じ。ホンダのバックアップも従来通り。あっけないくらいに何の変化もない(ように見える)体制であった。しかし、実際には、マグマ・グループ(一体ナニモノだ?)に株式を100%譲渡したらしく、ということは、実態は? 亜久里代表は、「まだ詳細は検討中」という。この言葉にウソはないだろうが、シャッキリ見えずにやや心配。
しかし、琢磨は、「去年はシーズン途中で開発が停まっていたけれど、その問題は解決している」と前向きコメント。そこも含めて、メルボルンの開幕が待ち遠しい。
琢磨の会見を途中で切り上げて明治記念館でフィアット500の試乗会。ギヤのセレクトの仕方が分からない難しいクルマの試乗会途中で、日本自動車レース工業会の事務所に立ち寄り、D社のH社長と事務局のT山さんにフィアット500を自慢する。おじさ3人の意見は、「ちょっとでかいが、インパネのデザイン含め、全体的にグッド」であった。日本でも、スバル360やホンダN360、キャロル、フロンテの憧れの軽スポーツのリニューアル版、出してくれないかな。


3月9日

まったりと二度寝。意識快復は10時であった。もそもそ起き出して中央道。富士スピードウェイが特設スタンドで返金騒ぎとなったC席仮設スタンドを、検証用に仮設置したので確認取材をどうぞ、とのご案内。とても高くて怖かった(笑)。しかし、根本的に、“管理”をやめない限り、楽しい観戦は難しい? 観客が遊びにきていることをもう一度考えていただきたいと改めて思った。帰りに、日本GP時の民宿予約。サーキットから10分で5000円というありがたい料金であった。当然、ネットは使えないだろうけれど、贅沢はいうまい。


3月7日

完璧な二日酔い。血中アルコール濃度が飽和状態を越えている。ダルい。そういう状況のところに朝一でヴァージン・エアから電話。“お呼びしていない方は来られません”。ということで、琢磨が参加する英国大使館のランチ・パーティはパスしたけれど、クルマで出発して転戦の一日。仙川からニューオータニホテルでトヨタのモータースポーツ計画発表会、頼まれていた携帯電話を渡して渡辺捷昭社長社長以下、“感触あり”のF1表彰台期待会見の後、FSWのNさんに、ソフトクリームをなめつつ[F1をひろめよう通信/WELL]の委員会のお願いをして、小雨がパラつく都内を縦断。早稲田でラーメン(久しぶりに美味かった)食いつつ、IRLのテストからジュネーブ・ショーを回って帰国したX誌のJ編集長を待って編集部で打ち合わせ。そいういワケで本日もゴルフの練習なし。2日間打ってないと、不安な私。14年前に始めた時は、日に3回練習場に言ってたからなぁ。


3月8日

トヨタの発表会と琢磨の原稿を書き、開幕戦の準備。デスクトップで慣れているので、ラップはトップの感覚を思い出しておかねば。しかし、慣れ親しんだシステムを変更するのは難儀な作業だ。おってともしかして、F1チームも、同じように“慣れない”苦労があるんだろうか。2日ぶりの打ちっぱなしは、2番アイアンもスコスコ決まって快調。しかし、かいちょうになったのは120発辺りからだった。コースでの朝の練習はせいぜい60発。フム、60発で調子が出る方法を発掘せねば。


3月6日

ホンダ・ウェルカムプラザで中嶋チームの発表会。ウェルムプラザとはよく言ったものだ。敷居の高さを感じずに入場できる。水道橋のT社の敷居の高さと好対照、との友人の説に納得。不思議なことに、アメリカのモータースポーツでもF1でも、ホスピタリティに同じ傾向を感じる。
青山から地下鉄で新橋経由で秋葉原で[F1をひろめよう通信/WELL]の最終打ち合わせ。I川さん、S世さん、Y家さん、準備をよろしく。準備が整ったところでS根さんもよろしくお願いしますm(__)m。
新橋に戻って新橋の花籠味で久々の美食。8品盛りの前菜から、最後まで美味かった。が、この食事、去年のF1チャピオンの賭けに負けた清算だったので、ちと気分優れず(笑)。S木さん、今年はいただきますよ。


[F1をひろめよう通信]でやりたいこと

3月5日

時間の経過がますます早くなった。二十歳の時、オヤジから「二十歳すぎたら時間が早くなる」と言われて、“なに言ってやがる”と思ったが、オヤジの言うことが正しかった、ということを、最近特に感じるようになった。1日なんてアッという間だ。
昼の中央戦で中野から東西線、と思いきや、人身事故で復旧の見込たたずとの場内放送。最近、オレが乗る電車はどうしてこう事故が多いのか。結果、遠回りして四谷経由で半蔵門のRMX社に10分遅れ。しかし、F1SCENEの打ち合わせがいい感じで進んだのてめでたし、。
残念ながら本日ゼロ・ショット。代りに素振り、というほどまじめじゃないのが致命傷だな。しかし、ちょっとだけ短いクラブを振ってみる、という辺り、ちょっとモチベーションが戻ったかも。ゴルフをやりたくなっている自分を発見している今日この頃である。しかし、最盛期は、思ったら行ってた。思って我慢する辺り、大人になった?


3月4日

スケジュールをチェックしたら、“ン?”、今日と明日に同じ打ち合わせがある。メールを調べたら、方や5日、方や水曜日。それぞれ別セクションの打ち合わせであった。同じ日と思い込んだ私が悪かった。仙川を往復して滝山ゴルフで120発。どうして練習場ではうまく打てるんだ。
スーパーアグリからなんらかの発表がありそう、という情報。しかし、本日は空振り。とはいえ明日は5日。6日が開幕戦のメルボルンに向けてマシンを空輸できるタイムリミット。ロシアの投資家なのか、はたまた? いい形の落とし所に収まりますように。


3月3日

レースマネージメント会社のH氏、元ドライバーのT氏、レーススポンサー会社にいたT氏とサンメンバーズ。昨日の練習がバッチリだったので、期待したが、期待はやはり期待であって実際ではなかった。“分かったと思ったところが下り坂の入り口”という言葉を改めて認識。でも、100を切ったのでいいとしよう。
そういえば、昨日の練習場で、ARTAの某ドライバーとバッタリ。業界対決にお誘い。ラリードライバーのT口選手も参加希望とのこと。レース界はますます充実。ゴルフ界も、一生懸命お願いしなくちゃ。
上野原から八王子に向かいつつIさんに初電話。なんたる偶然! 同じ時間に八王子に到着という。ファミレスでいろいろお尋ね&お伺い。方向性が見えた。あとは祈るばかり。


3月2日

サーキット・ホテルでなんだか寝つかれず、就寝は2時。8時の目覚ましでゴソゴソ起きてサーキットへ。朝からファンが詰めかけた。その数2万8千人。こういう場面を待っているファンがいるというのは嬉しいことだ。
中野信治選手と久々の再開。1086年にコンストラクターズ・チャンピオンを獲得したウィリアムズ・ホンダでデモ走行。一発派カマしてほしかったが、大人しく東コースを2周しただけなのはちとがっかり。信ちゃん、次回はバッキューンとスピンターを見せてね。
早めに却って50発。明日が楽しみ。楽しみなのは怖いが(笑)。


2月29日

2月の打ち納め100球。時間がなかったので、キャディバッグを持たず、ドライバーと2番/3番のロングアイアンのみで入場。最初は3番アイアンをティーアップして打つ。なんだかヘッドが走っていい感じ、なんと、地べたから打つ2番アイアンも激当たり。ドライバーなんてお茶の子さいさい状態。3日のゴルフが楽しみだ。しかし、頭の片隅に、浮かんだのは、“分かったと思った瞬間が下り坂の入り口”とい言葉であった(笑)。3日のゴルフをみなさんもお楽しみに(笑)。
ところで、報道と野次馬の境目が分からない今日この頃。北海道で民家が家事、85歳のおばあさんが亡くなりましたって、悲しいことだしおばあさんは気の毒だ。けれど、全国放送で伝えることか? 餃子事件を何度も繰り返すので、すでに300人は死んだようだ。新聞をパネルに貼ってまとめて読み上げるのがニュースかって。報道のあり方をそろそろどこかが気付いてもよさそうだ。まぁ、無理と思うけど。日本の終わりはかなり近い気がするのは私だけ?


2月28日

ここ数日、夜型に戻ってしまった。ここ数日、夜型に戻ってしまった。パソコンゲームのフリーセルにはまったのがその理由であることは内緒。とにかく、一度教えたら死ぬまでやるという去るみたいな性格なのでm(__)m。ということで起きたら11時。メールの整理や原稿の準備を終え、届いたネットショッピングの乾燥芋と露甘納豆持参で仙川。帰りに滝山ゴルフで100発。疲れて夕食後にソファでネタから、夜型にパワーを与えてしまった。
スーパーアグリの行方について、メールや電話が殺到、でもないが、開幕まで2週間。そろそろ方向がみえなければ。


2月27日

あっという間に2月が終わりそうだ。F1開幕まであと3週間。めでたくFIAからオーストラリアGPの取材パスの受理書が届いて、秒読みが始まった。
バルセロナのテストの途中経過がメールで届いた。まずは午前中前半は、中嶋一貴がトップタイム。午前中トータルは、トヨタのトゥルーリがトップタイムと来たもんだ。フェラーリとマクラーレンの2強と動かないだろうが、その下のセカンドグループが猛烈に面白くなりそうな予感。
テレビのニュースを見ていた女房が、もっとまともなネーミングを付けられないのかしら、と嘆く。ハンカチ王子に続いてハニカミ王子まではまだ許そう。ハナタレ王子って、オヤジギャグのレベルが堂々と許される。恥ずかしいと思えって言っても、その意味が分かったらテレビなんてやってらんないか。


2月26日

北八王子駅近隣のKW社で打ち合わせの後、近所の中華。安くて美味くて量が多いときたもんだ。今度は、事前注文が必要という北京ダックをいただきに、夜に言ってみたい。
北八王子は八王子インターにも近くて、てことはゴルフ5と滝山ゴルフ練習場のそばでもある。ということで、そこには寄らなくちゃ。ゴルフ5の中古コーナーで見た39000円のアイアンセット、キャロウェイX14が欲しい。しかし、緊縮財政なのでグッと我慢して、軽く100発。まぁまぁ当たったので、気分は○。


2月25日

午後一に青山、そのまま[F1をひろめよう通信/WELL]の打ち合わせ。S根さんに編集のお願い。有楽町のビックカメラでプリンタのインクを調達して水道橋。家に帰ってサイトを眺めていたら、スーパーアグリが凄いことになっているとの書き込み。開幕まで3週間。残るテストは2回のみ。さて、勢力図はいかなる動きになるのだろうか。


2月24日

仙川経由で等々力。等々力駅近くのスロットカー・サーキットで、面白いイベントがあったのだ。70年代前半に隆盛を究めた富士グランチャピオンレース。その当時のマシンをつくって、それだけでも驚くのに、当時のドライバーを招いてレースをやろうってんだから、開いた口が塞がらないというか。
2時から開始のイベントにやや遅れて到着すると、いるわいるわ。津々見友彦、高橋晴邦、北野元、長谷見昌弘、見崎清志、寺田陽次朗、鮒子田寛。全部本物だ! ついでに、服部尚樹と道上龍も! オマケに、GC大好きカメラマンの原富治雄さんに、その昔富士GC野事務局として活躍した福地さんまで。安友今日議長がご存命ならきっとかけつけたはずだ、と思いたくなった。
マシンも1/24のできのよさと、実際に走るってんだから単なるモデルとは違う。参加選手は、それぞれ思い出のマシンを作ってもらって、ニコニコ顔。しかし、レースが始まるとマジモードで真剣なレースを展開したのでありました。その模様は、こちら(レーシングアルバム)でどうぞ。
見物しながら思ったのは、これだけのドライバーが集まるんだから、これをきっかけに、新旧ドライバーの交流の場にできないかということ。早速、ドライバー招聘に一役かった鮒子田さんに相談してみよう。日本のレース、もしかして捨てたもんじゃないかも。


2月23日

強風の中を日八王子から中央線。電車が大幅に遅れて、昨日に続いて六本木のANAホテルのハタ坊の結婚披露パーティに遅刻。ハタ坊といってもすでに42歳。昨年結婚して1年越しの披露宴だったけれど、とっても楽しい会であった。めでたし。知り合いが寄り集まってワイワイ騒ぐのかと思ったら、ちゃんとした披露宴。だったら会費制と言わずに、御祝儀を出せるようなムードがあったらもっとよかったのに、というのが不満と言えば不満。めでたかったので、まぁ、いいか。


2月22日

女房をあきる野のショッピングモール“イーオン”に送り届けて一端帰宅して中央線。インターコンチANAホテルで、昨年12月に亡くなった田中健二郎さんのお別れの会。日本のモータースポーツ界の重鎮が大挙参加した凄い催しだった。
こういう機会をもっと設けて、若い人に歴史を伝えたいと思った。オレ自身も知らないことだらけだし。桑島正美さんと同じ意見で盛り上がり、N島S和さん、A井K彦ちゃん、N山H夫ちゃんたちと、“とりあえず温泉で一泊して盛り上がろう”ということになった。
タナケンさんは、日本のモータースポーツの黎明期に、2輪と4輪で活躍し、ホンダのバイクで世界の空に初めて日の丸を揚げた人だ。4輪では、今回の発起人となった高橋国光、北野元、そして若き長谷見昌弘を育てた健二郎学校が知られていた。
凄い人であることは知っていたが、1970年代前半にマツダのワークスドライバーとして活躍した片山義美さんが、「田中健二郎さんは凄い人でした。ケンさんがいてこそ今日の私があります」という挨拶には、鋭い説得力があった。
ケンさんのヘルメットには、黒いカブト虫が描かれていたが、それを描いたのが、誰あろう、日大芸術学部を卒業した若手の生沢徹さんだったとは。イギリスにいて参加できなかった生沢さんからの電報でそのことを知った。知ってるつもりで知らないことだらけ。そうそうたる先輩の中で、つくづく思ったことだった。
タナケンさんはオートレース出身だが、浜松でその現役時代を見た元ラリーストの内山房夫さんは、カナケンさんの逆ハンにしびれてモータースポーツの世界に入ったそうだ。「普通の速い選手は、ハンディがあるから、集団の後からスタートする。でもタナケンさんは、みんなの前からスタートするんだ。要するに、ほとんど1周ハンディがあったってこと。それで優勝しちゃうんだから、参ったよ」。
1985年頃、富士スピードウェイが廃止される騒ぎになった時、当時グランドスタンドにあった報道記者席で、スタンド裏で買ってくれたうどんをご馳走になったことがある。うどんのことより鮮明に覚えているのは、グラチャンだったかスポーツカーだったか、そのレースがスタートした瞬間にケンさんが眉間にシワを寄せて、「確かにうるせぇな」と言った一言だった。
テレビの解説で、黒沢レーシングの黒沢オーナーが、スタッフにピットで何か話しかけている場面が映し出されたのを見た解説者のタナケンさんが言った一言も面白かった。「あ、オーナーは、金は出してもいいけど、口は出しちゃいけませんね!」。最近、豪傑がいなくなった。
田中健二郎さん、たくさんの夢をありがとうございました。どうか安らかに眠ってください。


2月21日

久々にゴルフの練習。スムーズに打てるときとダメなときがあるのはナゼ? いや、理由は分かっているので、分かっていることがてできないのはナゼ、と言った方が正しい。どうやったら安定して打てるんだろうか。
A久里さんから、“キャバーを付ける”話を聞いた。酔っぱらって夜中に気付いて実行したら、スコアが20打縮まったというウソみたいな話だ。
A久里さんは、ベストスコア71というから、基本的に多くのレーサーと同じく、ゴルフが相当ウマイのだが、ここ2年間は、スーパーアグリで超多忙のため、年に数回のコンペだけしか縁がなく、「めちゃ下手になったていた」らしい。「今年はヤケクソでゴルフでもやろうと思ってさ」とジョークをいいつつ、「ホントは、面白くてやりたくてしょうがないのよ」。
そのやり方はこうだ。バックスイングでスウェイ(腰が右に流れる)悪いクセをなんとか修正できないかと酔って考えた末の大発見。地面に均等に当たっている足の裏に一工夫で開眼した。
内側にキャバーを付けるようにスタンスをとる。それだけで、一気に20打縮まったのだった。「最終ホールでOBが一発あったのに81。先月103だっから、22打縮まったっいてこと。まだまだ練習していないから安定してないけれど、ゴルフが面白くて」。
この説は一理も二理もある。キャバーを付けて構えると、結果として内股に力が入る。肝心なのは、“結果として”という部分。内股に力を入れるのは正しい構え方だが、意識すると力みの原因になるからだ。
もっといいのは、キャバーを付けることに集中すると、身体全体の力みが消えること。これまた結果としてバックスイングで左肩が回り込んで、ダウンスインもスムーズに降りてくる。
書けば簡単だ。やってみるのはなかなか難しい。難しいが、時折出るビックリするくらいのナイスショットを再び打ちたくて、200球打ったら身体中が痛いゾ。


2月20日

起き抜けにティーポの原稿。書き終えて中央線。電車に揺られながらハリー・ポッターの英語朗読を聞き、英語と日本語を眺める。勉強してる気がしたのも束の間、アッという間に眠くなった(笑)。
六本木の泉ガーデンで富士スピードウェイの日本GP発表会。14万人と発表した日曜日の観客を11万人に減らし、ライド&チケットを、“バス留め置き方式”に改めるそうだ。しかし、マイカー(って表現も古いな)や徒歩は、「将来的には考えたい」としながら、少なくとも今年はなし。観客は、やはり“管理”されているというイメージから脱しきれないのではないかと思う。
基本的に気付いてほしいのは、観客は遊びに来る、ということ。遊びに一番似合わないのは管理だ。自己責任なら、渋滞で酷い目にあっても我慢ができる。そもそも、渋滞がお客様に迷惑をかける、という富士のご説には賛成しかねる。渋滞はない方がいいに決まっているが、自己責任なら文句を言いつつそれなりに楽める。そういう状況なら、F1をいい思い出にしてもらえてまた来年も来る気になる。鈴鹿がいい例だ。1987年に始まった当初の渋滞は酷かった。
富士が心配しているのは、渋滞で周辺に苦情を言われることではないか。オリンピックだったら問題になるだろうか? モータースポーツに自信が持てない裏返し?
だから渋滞していいとは言わないけれど、クルマを作っているメーカーがバックにいながら、クルマで行けない自動車レースってのも、なんだかなぁ。


2月19日

仙川経由で台場のTFTビルでFポンの発表会。“2ヒート&リバースグリッド”は噂どおりだった。しかし、2ヒートが決定しているのは8戦中2戦だけだと。サーキットの都合が優先された結果だ。全体のことより自分のことが先、という日本を象徴している事態。悲しいと言ったら、“仕方ないじゃ”という意見が聞こえてきそうで、ますます悲しい。
台場から銀座に抜ける新たな道路が完成していたことを発見してちょっと得した気分で秋葉原のC社にお邪魔して[F1をひろめよう通信/WELL]の打ち合わせ。親がなくても子は育つ、という格言を思い出した。親がいない方がずっといい子に育ったりして。嬉しいような悲しいような、複雑な冬。寒さが身に沁みる(笑)。
ワインを買いに近所のスーパーに立ち寄る。駐車場で隣に停まったクルマから降りたお兄さんからお先にどうぞと言われてお先に失礼。ドアを締めようとしたら、“かっこいいですね”と言われてちょっといい気分。“23万kmも走ってるんですよ”と思わず自慢してしまった。改めてメーターを見たら、23,4700km。1997年に友人から買ったときは、37,000kmだったと記憶する。「20万km記念」はもうすぐだ。


2月14日と15日

羽田から沖縄。マツダ・アテンザの試乗会。
時折ぱらつく雨の中で、起点の万座ビーチ・ホテルを出発。しかし、高速道路を含んで1周45分のはずのコースが渋滞で1時間20分かかって次の方を待たせてしまった。2台目は、近場の一般道に絞って30分で切り上げる。ゴーヤチャンプルと豚肉料理をいただき、ワインをしこたま飲んで、M沢さんのマ○コ話に相槌をうって悪酔いした。それでも、15日のゴルフは、パットが絶好調で100を切れたのでめでたし。


2月16日

新調した老眼鏡を受け取る。オッよく見える、というにはちと遠い。やっぱり安物はだめ? 問題は、顔面マヒで狂ってしまったらしき左右のバランスか。縦横がきちんと十字にならずにズレて見え、プリズムを入れたり外したりしたが、どっちがいいのか分からないないままだった。さっとかければ世の中がパッと明るくなって、肩が凝らないメガネが欲しい。
有楽町の外人記者クラブで打ち合わせ。ステーキをいただき、支払いしようと思ったら、「ここの代金は会員に請求が来るシステム」であった。ごちそうさまでしたm(__)m。
お返しに、ガード下で焼酎をごちそうさせていただく。締め切りに追われていI村さんを先に送り出し、O久保さんといいちこのお湯割り5杯。お陰でお見舞いにいけなくなった。


2月17日

11時30分に湖畔で待ち合わせ。弟の嫁さん家族と初顔合わせ。一方的に喋ったので、山口家をの家風はいやでも伝わったと思う。あきれて縁談お断りになりませんように(笑)。一端帰宅して仙川にお見舞い。思ったより遥に元気で一安心。


2月11日

シーズンオフのせいか連休の感じがしない。しかし、休みの日は、誰かに追われている気分がない分だけ気楽。しかし、締め切りがあることは変わりない。締め切りは、休日でも迫ってくるのだ。当たり前か。


2月12日

久しぶりに家族で近所のお好み焼き。店の雰囲気が変わったのでちょっと心配だったが、相変わらずうまかった。鉄板で焼き肉的なメニューもできるので、今回バイトで参加しなかったお好み焼きがやや苦手(食事の感じがしないというのがその理由)の次男もこれなら大丈夫そうだ。
三男に誕生日祝いで買ってあげたハリーポッターの朗読CDが届いた。イギリス英語なので、最近再開したスーピードラーニングより遥にモチベーションが上がる。
イギリス英語で面白い経験をした。10年ほど前、イギリス英語のテープを一カ月ほど聞いてF1の開幕戦を迎えた。開幕戦はオーストラリア。比較的アメリカ英語に近いと思うのだが、空港についてショック。レンタカーのカウンターのお兄さんがなにを言ってるのか全然分からなくなっていたのだ。耳がイギリス英語に慣れちゃったのか。勉強して後退するとは思わなかった。
2カ月前からスピードラーニングを始めたが、今度は反対のことが起きた。1月末にホンダの発表会でイギリスに行ったとき、ホテルのフロントのお姉さんの言ってることがなんだか聞き取りにくくなっていた。やっぱり付け焼き刃はイカンな。
イギリス英語とアメリカ英語の面白い話をもうひとつ思い出した。F1のメカニックになったばかりの津川さん。今でもかなりブロークンだが、独特のカタカナ英語でまるで不自由なくイギリス生活30年を迎えた。最初はカタカナ英語を、仲間のメカニック(当時はエンサイン・チーム)に冷やかされる毎日だった。そんな中で迎えたアメリカGP。津川さんは溜飲を下ろしたのであった。朝食のメニューに卵がついてくる。スクランブルエッグは分かるが、フライドエッグになるとイギリス人は目が点になる。「焼き方は?」という質問はイギリスにはないからだ。フライドエッグはフライドエッグ。しかしアメリカには、サニー・サイドアップとターンオーバーがある。要するに、太陽の用に見える片面焼きと、ひっくり返す両面焼き。目を白黒させるイギリス人メカニック仲間の横で、津川さんはふんぞりかえって笑い飛ばし、たまりにたまった鬱憤を晴らしたのだった。


2月13日

ハリーポッターを効きながら机に分かっていると、自分が勤勉に感じられて気持ちがいい。が、それと硬貨は別物(笑)。
シコシコと原稿を書く。明日締め切りだが、明日は朝から沖縄の試乗会だ。今晩中にやらなくちゃ。いつも思うことだが、終わってみれば何であんなに大騒ぎしてプレッシャーを感じたのかと思ってしまう。心配性?という意見もあるが、要は仕事をしたくないだけだったりする。そういいながら、そのプレッシャーを結構楽しんでいる自分がいるのは何故だろう?


2月8日

早朝にfax複合機のプリンターがおかしな音と共にプリントできなくなった。ちょっとしたことで直りそうだが、ガタガタやっているより買った方が早いそうだ、と気付いたのは1時間ほどガタガタやった後だったが。
ということで、三男と八王子のヨドバシカメラ。同じシャープ製を買う。進化型というそれはしかし、前の方が圧倒的にシンプルでかっこよくて、オマケに要らない電話付き。悩んでも文句言っても始まらないので、黙って買って帰ったら、1000円引きで下取りに出した古い機械にほとんど新しいインクを入れたままだった。早速電話。親切な売り場のお姉さん、ありがとう。


2月9日

雪がぱらつく中を中央線で秋葉原。ラップトップのスペア機“s30のキーボードの一部が打感ペタペタの感じ悪い状態になっていた。早速先生にメールして、目指すは末広町のWAKAMATSU。IBM専門の掘り出し物かあるってんで、1万円くらいでキーボード交換できるとのことでパソコン持参。「ハイハイ、キーボタンの下のシリコンの劣化ですね」とサクサクッと10分で修理完了。たったの1500円也は助かった。


2月10日

まだまだ時差ぼけを引きずったまま。10時に寝て4時に起床。しかし、原稿書くのにちょうどいい。当分このパターンを守ることにしよう。いつまで続くか楽しみだが(笑)。


バカみたいに餃子で引っ張るマスコミ。毎日放送しているのをみていると、なんだか“事件”をテレビが待っているようにさえ感じられて気持ちが悪い。
最初にこのニュースが流れたとき、段ボール肉まんの時みたいに、“中国だからやりそう”というニュアンスを感じて思ったのは、テレビの頭の悪さというか無神経。防腐剤が強烈だった、というならまだ分かるけれど、人が死ぬような物質を入れるというのは、儲けとかずさんとかではなく、狙いを持った刺客か愉快犯の、いずれにしろ犯罪しか考えられないのに、“ずさんな中国”、みたいな論調。そろそろいい加減にしてほしい。


2月7日

予定のゴルフが雪でコースクローズ。久しぶりだったのにナァ。行かないとなんとでも言えるワイ。しかし、昨日亜久里さんが言っていた“突然20打縮まるアドレス”試してみたかった。ど〜しても知りたい人は、電話かメールでお教えします。僅か3980円の3回払い。送料はジャパネットタカタがお持ちします。よって、アナタにも当社にも送料はかかりません、てね。
時差ぼけと契約書類に準備組織図にインタビュー原稿が、いっぺんに来た。夜10時頃猛烈眠かったが、そこをミスしたら、結局朝まで眠れず。悪いことは重なるもんで、朝眠くなったところでなんとなく幸福の扉の掲示板「レーシングパブ」http://www.39-web.com/bbs/motuuu.cgiを見たら、おまかせさんが“面白いバイク雑誌発見!”の書き込み。“「Bikers Station」の「紺碧の天空を仰いで」という元スズキの横内悦夫氏の回想録が面白かった”なんて書いてあるもんだから、あっちこっちネット検索しまくりで、興奮して寝られなくなったのであった。おまかせさん、責任取ってくれ!
「レイトンハウスF1チームのために某社にサスの開発を依頼した話とか、スズキでF1エンジンを開発していたときの話とか当時としてはマル秘のお話ばかり、今月号で最終話となるのだが最後の話題がパイクスピークヒルクライムでモンスター田嶋がロッドミレンをやっつけて1等賞をもぎ取った話だった。面白くていっきに読めちゃいました」。酷な人でしょ、朝6時半じゃ、西八王子で開いてる本屋、ないもの。あ、コンビニがあるか。いや、凍死したら困るので、寝てからにしよう。


2月6日

亜久里さんの取材の後、芝のIBMにS30の修理。途中でSPA!のA立君にばったり会ったりしつつ、雨の中をとぼとぼ歩いていってみれば、なんてこった、ロープが張られて、“昨年一杯で店じまい”であった。ちょっとショック。今後は、宅急便で送ってサービスを受けられるが、世の中ますます機械的になってしまう。悲しい。ノートの左クリックのキーボードの作動がおかしくなっただけなのに、わざわざ送るのか。案外やってみたら簡単かも、だが。
ゆりかもめに揺られて新橋から秋葉原。[F1をひろめよう通信/WELL]の打ち合わせ。実作業を委嘱して、より密度の高い情報をマスコミ関係者に届くようにする。一抹の寂しさはあるが、スポンサー活動に時間がさけそうだ。ということで、委員会候補の方々、ご協力をよろしくお願いしますm(__)m。一般の方からの協力をお待ちしますm(__)m。
深夜にバーレーンの可夢偉に電話取材。初乗りのTF108の感想を聞く。素性はよさそう。あとはどこまでセットをすめられるか。ホンダとともに、いまのところ芳しくないタイムの日本製が、どこまで来るか、楽しみなような怖いような。

昨日、西八王子の男子トイレの放送のことを書いたら、次男が別の見方に気付かせてくれた。“それって、盲学校とか多いので、そういう人のためじゃないの?”。そうであったか。だったら余計なお世話ではなかったが、そう思ってトイレの前を通ってホームに向かったが、ホームへのエスカレーターでいちいち行く先を言ったり、黄色い線の後ろに下がって下さい、という繰り返しの放送は、それでも過保護。守るべき線引きは簡単ではないけれどもう一工夫してほしいなぁ。


2月4日〜2月5日

完全な時差ぼけで、頭も身体もシャッキリしない。4日にマッサージを受けたら余計疲れて5日はグッタリ。昼寝を試みるも身体は疲れているのに頭がさえて熟睡できず。夜は入眠剤を飲むのでなんとかなるが、それでも5時には目が覚める。単なる老化かもしれないが。
そんな頭を混乱させる日本の惨状。餃子事件をあちこちのテレビで何度も何度もやるもんだから、毎日新しい餃子中毒が出ているように聞こえる。すでに合計3000人くらい中毒になった感じだ。
何人か亡くなった段階で、期限詐称や管理怠慢とは別の原因と気付くべき。誰かを殺そうとしたか、どこかの会社を混乱させようとした犯罪の可能性に気付くまでに時間がかかりすぎだ。本当に日本は平和だと思う。
1年前に踏み切り事故で亡くなったお巡りさんの一周忌のニュースが流れた。とても勇敢な方で気の毒とは思うけれど、テレビカメラがお墓参りする奥様を映して全国放送で流す情報には思えない。
成田に到着して動く歩道でバゲッジクレイムに向かっている時にいつもイライラするのは、「もうすぐ降り口なので足元に注意してください」という放送。“ウルサイ、自分で気をつけるわい!”、と文句を言いながら荷物を取りに向かうからバゲッジクレイムと言う、わきゃないか。
成田からNEXで東京経由で西八王子に到着して、トイレに入ってぶっタマゲタ。「ここは男子トイレです」と5秒ごとに繰り返して放送してやがる。オバサンがずうずうしく入ってくるのを防ぎたいのか、それとも間違って乙女が入って恥をかかないように気づかってくれているのか知らないが、それとこれをごちゃ混ぜにするのはやめてほしい。一体、どこまで日本は平和で人々から自己管理能力を奪えば気が済むんだろう。
世界中で、警報機が鳴ってないのに踏み切りで一時停止しなくちゃいけないのは日本だけ、という話を聞いた。まったくありがたくて涙が出そうだ。ホテルのフロントでチェックアウトしようとまっすぐフロントに向かっていると、「チェックアウトでございますか」とボーイやスタッフの女性が飛んでくる。アンタたちさ、客が困った時にサーブするのが仕事であって、何でもかんでも幼稚園児みたいに保護したがるのはサービスじゃなくて余計なお世話だってことに気付いてちょうだい。
いつだったか、ロサンゼルスからメキシコに向かう飛行機の中で、思わず唸るサービスを受けた。ちょっと寒いと思って二の腕をさすったら、昔は美人だったオバサンスチュワーデスが、何も言わずにそっと毛布をかけて一言も言わずに立ち去った。10年若かったら食事に誘ったかも、ってのはいいとして、これがサービスだ。
JALやANAなら、スチュワーデス(いまはキャビンアテンダントというらしいが)がすっと飛んできて、大げさなジェスチャーで「お寒うございますか。今すぐ毛布をお持ちします」と叫ぶに違いない。サービスは、自分の義務だからやるんじゃなくて、客の快適のためにあることをちゃと教育してほしいもんである。
今気がついた。どうして文句を言う文章はスラスラかけて、仕事の原稿は進まないんだろうか、なんちゃって。


1月28日〜2月3日

28日はオックスフォードのホテルでボケッと原稿書き。29日にブラックリーのホンダF1レーシングでRA108の発表会。すっきりきれいなカラーリングになった。夜は偶然ホテルの近所でホンダのプレス・ディナー。なんと、ホンダの中本さんや阿部さんが同じホテルであった。ネット予約で安かったが、それにしては彼らが泊まるような悪くないホテル。そうか、道理で部屋まで遠いはずだ。中本さんや阿部さんたちはレセプションから近い部屋。こちらは何度か迷ったりするほど遠かった。こういう違いがあることを知って、少し得した気分。ワインを効いてグッスリ。
しかし、翌朝のパリ行きはヒースローを9時25分発。5時は起きて5時半に出発したが、全幅の信頼を置いていたナビの“TOMTOM”に登録してあったヒースロー近くの“HOME”をすっかりレンタカー会社のオフィスと思っていたらまったく違う場所だった。海外では余裕を持って行動すべし。←今ごろ気付いて一安心。
無事、30日昼にパリに移動して北駅の目の前のホテル・アポロ。N口君とオペラで昼飯。“日替わり弁当”をいただく。夜はルノーのパーティの予定を変更して急遽フランス料理。31日のランチをSY氏とご一緒し、夜のエアフラで成田に着いたら2月になっていた。
I田さんから“エネルギー・ダウンで疲れ気味”との電話。働き過ぎです歳を考えずに。って人のことを言う権利はないか。いや、働いてはいないけれど(笑)。
帰国初日の2月1日はぐっすり寝られた。起きたら2日の11時だった。しかし翌日は深夜に寝たのに熟睡できないまま5時に目が覚めた。外は真っ白な雪景色。そういえば、雪が降っても嬉しくなくなったのはいつからだろう。


1月27日

朝イチでホテルを出て、ドバイ空港で午後イチの便を待つ。メールの確認をしてオイスターバーで牡蠣とスモークサーモンを食っていたら、あっと言う間に時間になった。ロンドンまで8時間の旅は、基本は寝て、目が覚めたらパソコンを開けて原稿、ではなくてソリティア。さすがに飽きた。ヒースローでレンタカーを受け取り、オックスフォードのホテルへ。TOMTOMのおかげで迷わずに済んでありがたい。数年前にホンダの観戦会で泊まったホテルだった。イギリスGPの時は高くて泊まれないが、季節外れなら安くて手が届く。ドバイで買ったスシを近所のガソリンスタンドで仕入れたビールで流し込んで、とにかく寝る。


1月26日

小林可夢偉とチームメイトたちと砂漠の中のドバイ・インターナショナル・サーキットへ。工事中のせいもあるが、バーレーンに比べるとやや質素。遠くにスイカを切ったかっこうの海上ホテルがうっすら見える。もう少し天気がよければ、とやや残念。
小林可夢偉と吉本大樹が走るGP2の第二レースは、小林可夢偉が1周目にセナに追突されて一巻の終わり。吉本は、一時2位に付けていたが、タイミング悪くピットアウトしたマシンに進路を阻まれた隙に、絶好調のクロジャンに抜かれ、その後も“6速ギヤが離れすぎ”て4位でゴール。「まだまだセッティングにしてなにから何までもやること山積みです」と悔しそうだった。
一方の小林可夢偉は、予選でアタックに入ったところで赤旗中断。タイミングを逸して下位からのスタートで追い上げが期待されたが、去年の中嶋一貴/平手康平と同じく、特殊なクラッチにしてやられてエンジンをストールさせて万事休す。第二レースはスタート見事に決めて3台をパスして1周目を終えようとしたところで、ブルーノ・セナに追突されてレースを終えてしまった。“せっかく見に来たのに”とジョークを飛ばすと、「すいません」と肩をすぼめた。いや失礼、彼の方が圧倒的にがっかりしているはずだよなぁ。今後にグッドラック。小林可夢偉はこのままドバイに居残り。住居のパリに戻る、最も厳しい3時間の時差で2月5日からバーレーンで行なわれるトヨタF1のテストに合流することになる。「あんまり雰囲気が好きなところじゃないですし、1週間なにしようか困ってます」と言いつつ、しっかりF1モードの可夢偉なのであった。


1月25日

スタンステッド空港からバスでヒースロー空港へ。バス代21ポンド。最近のイギリス公共交通機関は高い。昼過ぎの便でドバイ到着は深夜1時。Aさん出迎えと居候に感謝。


1月22日

朝4時にシャルルドゴール空港に到着。おり際にモンテに向かうラリーのS木さんとバッタリ。何年ぶりだろうか。ラウンジでひとしきりラリー談義。
ネットをつないで突然のドバイ行きで変更したレンタカーやホテルの予約変更。あっという間に時間になった。さて乗ろうかと思ったら、“バレンシア行きのターミナルはDですわ”。慌てて走る。最近の空港は走るようにできているようだ。
バレンシアに無事到着。レンタカーをピックアップしてサーキット・リカルドトロモへ。なんという観客の多さよ!  聞けば祭日らしいが、それにしても4万人とは。明日のテストに備えてバレンシアし入りした小暮卓史も“F1て凄い!”と目を丸くしていた。汗ばむバレンシア初日は無事に終了。


1月23日

イビス・ホテルで4時にお目覚め。パソコンのゲームで眠気を誘って二度寝。7時に起きてクルマで15分のサーキットへ。8時に到着したが、テスト開始は10時であった。今日はホンダの新車が走る、ウィリアムズとルノーも走り始め、すでに見慣れたフェラーリとマクラーレン、トヨタの新車を拝む。全体に、二階建てのフロントウィングと、怒り肩的ヘッドプロテクター、長く後方に伸びた垂直尾翼の役目をしそそうなエンジンフェアリングが今年のトレンドか。
午後から小暮卓史がRA107で50周。ノーミスだっただ、当然テールエンダー。“今日は絶対に壊せなかった。明日は100%で走りたい”という言葉を楽しみにして、8時にホテルに戻る。
周辺にレストランがなさそうなので、ホテルで期待薄のパエリアでも食おうか。夕べ飲んだ生ビールはうまかったし。フロントの前のバーに座るも、誰も来ず。しばらく待ってレジに出てきたおねぇサンに、“注文したいんだけど”と伝えると、こちらを見ずに“ジャスト・モーメント”。オイオイ、アンタも忙しいかもしれないけれど、こっちはお客さんでっせ。ぐっと我慢してしばし待つも、5分たっても反応ナシ。マズイものを気分悪く食うより、今日はカレーだ。LEEの20倍はレトルトとは思えないウマサ。鮭雑炊にいただく。うまかった。できれば、ちゃんと電子レンジで暖めたかった。水道のお湯ではヌルかったのが心残りな夜。


1月21日

ハードスケジュールでいつも以上に気が重かったが、搭乗口に呼び出され、“本日エコノミーが満席をいただいておりますので”ということでビジネスクラスにアップグレイド。ありがたや。一気に元気がでたが、勝負はこれからだ。今回もどんな珍道中か、楽しみなような怖いような。帰国は2月1日。成田-パリ-バレンシア-ロンドン-ドバイ-ロンドン-パリ-成田。F1テスト-ドバイのGP2とスピードカー-ホンダの発表会。採算? こんなに一杯経験できて、儲かるはずがない(笑)。←笑ってる場合じゃない気もするけど。


1月19日

[F1をひろめよう通信]の整理。なんとか形になってきた。
ジャスコで月曜日出発のお土産を買う。年寄りが食べられる柔らかい煎餅と“ふえるワカメちゃん”にホカロン。こういう当たり前のものが海外では恋しくなるのだ。母親思いのNキT田のために、一杯買っていってあげよう。あ、津川さんにもラーメン買っていかなくちゃ。
海外生活の仲間にお土産を買っていくのが大好きになったのは、写真家の間瀬さんから、アンパンの話を聞いてからだ。1980年頃、F2に参戦していたホンダのスタッフは、間瀬さんが日本からお土産で届けたアンパンにいたく感動したという話を聞いた。今でこそ、ヨーロッパでも主要都市のスーパーマーケットの日本食売り場にいけばアンパンは買えるかもしれないが、当時は嬉しさ爆発だったのだ。そういえば、2002年にF1にデビューした佐藤琢磨選手に、“ホンダで納豆食べさせてもらえるよ”と言ったら、“本当ですか!?”とレースでも見せたことがないくらい目を輝かせて、ホンダのモーターホームにすっ飛んで行ったものである。海外生活の仲間に土産を持っていくのは、だから喜ぶ顔が見えて大好きだ。
浜島さんのインタビューがやっと山を越えた。さて、どうまとめるか。


1月18日

部屋の掃除を始めたが思うように捗らず。最初に、電話コードを整理しなくちゃ。それにはまずは調子が悪いfax複合機の問題を解決するためにシャープのカスタマーセンターに電話。少々複雑な事情を説明して15分ほどレクチャーを受けたが、なんのことはない、結局は単に呼び出し回数を10回から6回に減らせばいいだけであった。夕刻中央線で麻布十番。おいしい焼き鳥をいただいて、赤坂で一杯。本日も帰宅は翌日。飲み過ぎと寝不足で肩凝り。
ショッキングなことに気がついた。バレンシアからロンドンの間、どうやって時間をつぶすか迷っていたら、その週末はGP2アジアの開幕戦がドバイであるのだった。小林可夢偉のGP2デビュー戦であり、オマケに右京のスピードカーのデビュー戦だ。う〜んドバイに行くか。しかし、航空券を当たったが、時間的にどうしても無理がある。悔しい! なんとかならんか。

1月17日

特急電車で新宿、山手線で恵比寿に移動して日比谷線で神谷町の虎ノ門パストラル。日本GPの意見交換会で弁当をご馳走になり、半蔵門でF1SCENEの打ち合わせ。天王洲アイルでインスパイアーの新車に試乗してそのまま帝国ホテル。モータースポーツ・ナイトは、思わず唸る仲間のトークの素晴らしさと、大久保力さんの締めの挨拶の重厚かつ含蓄あふれる中締めのあいさつに助けられて司会の大役を無事終了。進行を仕切ったOPRのE藤&K本氏と新橋で食った台湾料理の豚たま細麺が美味かった。東京から各駅の中央線が西八王子に到着したのはすでに明日。久々に疲れた。
パソコンの調子がおかしくなった。スイッチオンでブルーの画面がでるうよになった。強制終了すると何もなかったように使えるが、取り立てて何かインストールした気はしないが、そういえば、数日前に、何かを更新したような気がする。聞いてくるからはいと素直に答えたのだが、いいえにしなくちゃいけなかったのかいな?


1月16日

埼玉県の本所・児玉インターインターまでひとっとび。赤坂の宝石商とレースマネージメント会社のお姉様(こう書くとなんだかスゴイがみなさん普通の方)とラウンド。ヘッドスピード58(!)の宝石商のAさんに気を抜かれ、ドライバーがマトモに当たったのは1回だけであった。一昨日までの練習の成果はいずこ? それでも100を切ったのでよしとしよう。

帰宅して明日のモータースポーツ・ナイトの準備。司会の大役、という言葉がしみじみと身に沁みる(笑)。
一応ネクタイ締めなるちゃ・・・、おっとシャツが軒並み小さくなってる。ではなくて、オレがでっかくなったのさ、ハハハ。笑ってる場合じゃないか。早速ヨーカ堂で仕入れ。安くていいシャツがたくさんあったので感心した。普段、ネクタイ締めるシャツには用がない。首のボタンを締めたことがないので、そういうたぐいのシャツには縁がないから気付かなくてしかたないのだ。

明日のことが気になって寝られそうにない。入眠剤を飲むべきかどうか迷いつつ台本を繰り返し眺めているうちに眠くなった(笑)。便利な私。

レースナイトのやり取りをしているうちに、田中健二郎さんが12月29日に亡くなったことを知った。1973年の引退レースの富士で、オープンカーに乗せられて別れを告げるタナケンさんに、1コーナー寄りのグランドスタンドからポツンと一人で拍手を送ったら、振り返って大きく手を振ってくれた。その前後のグラチャンのテレビの解説者のタナケンさんが、公開練習の日にドライバーインタビューをやることを発見し、後から着いて行って面白いことを思いついた。
数日後、そのレースがオンエアする日に、大学の寮の部屋に仲間を集めてスタンバイ。“そろそろオレが出るぞ”と仲間を煽動する。仲間が注目するちょうどそのタイミングで、画面手前に背を向けてドライバーにインタビューするタナケンさんの背後のこちら側からあちらに歩くオレの背中が登場する。仲間はオレに気がついて、“あ、映った! 山口だ!! オイっこっち向け、こっちだぁ!”と大絶叫する。オレは当然それを見越して、みんなが盛り上がるちょうどそのころを見計らって、あたかも何か忘れ物をしたようにオッとか言って突然振り向いてこっちに向かって画面を通りすぎるという寸法。オオウケだった。しかし、それは最初の1回だけだった。次のグラチャンで同じことをやったが、もう誰も見に部屋に来なかった。
1980年頃、グランドスタンド裏のうどんをごちそうしてくれた。タナケンさんの思い出はいろいろあったが、オレにとっては“レースの神様”だった。何しろ、オートレース時代のハンデのつき方が半端じゃない。普通ハンディを背負わせれる選手は、スタート集団の後から出走する。そしかし、タナケンさんは、集団の前にいたそうだ。ハンディが1周あった、ということだ。それでも全員を、“逆ハンの健二郎!は抜いちゃったのだそうだ。そのタナタンさんが亡くなったことを知らせる役目をやることになろうとは。日本には豪傑がいなくなった。


1月15日

春場所の初日に勝った朝青龍が2日目に惨敗した。昨日は勝ってニュースになり今日は負けてニュースになった。初日の大入り満員は、負け見たさの客だったという報道がなんだかおかしい。そんなの今ごろ気付いたのかって感じ。
朝青龍惨敗を報じる夕刊の隅っこに、姫の虎退治のオバサン議員の暴露本の広告が載っていた。相撲取りが相撲以外で名を売って満席になり、政治家が政治以外で名を売って表が集まる素晴らしい世の中である。そういえば、何年か前に、台湾だかどこだかの女議員が男を買った一部始終を愛人男が撮影し、そのビデオが週刊誌の付録になるというタマゲタ事件があった。生々しくて超エッチなビデオが一瞬テレビで流れてちょっと興奮したが、それよりスゴイのは、その一件で失脚した女議員のその後である。なんと、このスキャンダルを逆手にとって歌手デビューしたんだと。何でも有名になれば勝ちなのである。ボクシングが弱くてもヒールで売れた亀田兄弟もその好例。そういえば、去年来の“おバカ・ブーム”も同じだ。バカって隠すもんだと思ったら、売れるものになっていた。世の中分かりません。
新宿で[F1をひろめよう通信]の打ち合わせ。やっと出口が見えてきた。
そういえば、昨日、往年の名レーサー、トヨタ・ワークスとして活躍した高橋晴邦さんから電話をいただいた。「13日のラジオ聞いたよ。中嶋一貴が好青年だと分かったよ」。ありがたや。


1月14日

成人の日と言われても、15日でないのでピンとこないが。おじさんと成人のディベートは面白かった。テーマは、例えば、電車の中で化粧するな、携帯電話依存を控えろ、覗かれるのが嫌なら短いスカートはくななどなど。単なる反発があるかと思いきや、今の若者が案外聞く耳を持っているのに驚いた。
本日は150発。やや調子が悪いが、基本的に、グリップを左指の小指側3本で握ることと、ダウンスィングの始動をゆっくり目にすることで安定したことは確か。しかし、数日前にこれを確認した時ほどの好感触はない。すでに“慣れ”てしまって、つかんだはずの感覚が使えなくなったということかもしれない。本当にゴルフは分かったと思えない。


1月13日

充実の200発。100発目までは、天才的な素晴らしいショットの連発。数年ぶりに“練習場プロ”の感覚が戻ってきた。ドライバーが楽々打てるだけでなく、3番アイアンが7割以上のナイスショット! しかし、150発を越えたあたりからバラつき始めた。疲れたせいか、“分かったと思うな”の教えのせいか。いずれにしても、かなりいい気分。ストレスがふっとんだ。めでたし。お願いだから16日まで、この感覚を身体が忘れないでほしいm(__)m。


1月12日

中央線で新宿。去年の[the業界対決]の波紋がこんなところまで及んでいた。頑として聞き入れない相手に理解してもらう方法があったら知りたい。思い込んだらテコでも動かない。アンタもそうだ? かもしれないが、ともあれ、相手の都合を理解するってのはなかなか難しい。自分が正しいと思ったからって、ストレートに伝えると、その発言で誰かが困ることもあるのにナァ。この点においては私も反省せねば。マイナスの波動を消せずに悶々と寝つかれない夜。ゴルフの打ちっぱなしに行かなかったので、その分ストレスがたまったかようで。


1月11日

東京オートサロンの会場幕張メッセに向けて一路中央道。オドメーターが234330kmだった。もうすぐ234567kmだ。ちょっと前に気付けば、となりのトリップメーターを合わせておくことで、234567-890.12という類まれな数列が完成したのに。残念(でもないか)。
幕張メッセで、10m歩く毎に知り合いに会って新年の挨拶。結果として、何を見たのかほとんど忘れた。覚えているのは、コンパニオンの品格が上がって下品じゃなくなってめでたしだったこと。由良拓也さんのエアロプリウスがかっこよかったこと。同じく由良拓也作マークUジオスーパーGTバージョン。童夢の林さんが来月発表するとある計画。D1の妙技。マナピーの進化したしゃべり。稲田大ちゃんの相変わらずの元気。J市ザッカー編集長のトークショーの司会の巧さ。ロジャーの息子のかわいい写真。そして帰りのロッテ葛西ゴルフのナイスショットだけであった。
バックスイングからの切り返しをゆっくりするだけで、どうしてこんなにナイスショットが連発するのか。ミート率は7割りくらいの大当たりだ。早く16日にならんかな。
しかし怖いのは、“分かったと思うな”という中部銀次郎さんの教えだ。これまでの経験で、分かったと思った瞬間が下り坂の入り口、という痛い思いを何度もしないるからナァ。
久々にやきとりを買って帰る。山田屋のやきとりはホントに美味い。親父に聞いたら、「よく出るのは、若鶏とネギ間」だそうだ。うちみたいに、ハツとレバーとボンチリを頼むのはかなり異質だそうだが、普通屋台のやきとり屋では、ハツやボンジリは置いてないからそれも道理か。今夜はカレーであった。そういえば、オートサロンの会場でもカレー食った。ムネヤケな冬。
1月10日

早起きしてザッカーの原稿。昼飯を松屋で。豚キムチ丼は吉野屋の方が美味い。山田の打ちっぱなしで250発。本日は絶好調だ。コース行きてぇ。と思っていたら、昨日姐御から“16日はいかが”のメール。念ずれば実現するのである(ホントかよ)。
夕方の中央線で秋葉原。快速だと1時間。尻が痛くなった。特急にすればよかった。秋葉原の稲田屋本店。かなり美味かったので、[F1をひろめよう通信]の打ち合わせがはかどった。S世さん、ごちそうさまでしたm(__)m。


1月9日

午前中に明日打ち合わせの[F1をひろめよう通信]のレジュメ整理。プリントアウトしてデータを整理したら何かが完成した気になった。しかし、それは勘違いで、何も進んでいなかったりする。
午後3時からの約束目指して中央線。四谷から赤坂見附経由で外苑前のスーパーアグリのオフィスで亜久里代表インタビュー。親父さんの入退院で正月はと好例のオーストラリア行きを諦めて家で漫才を見っぱなしだったそうだ。笑いながらも゛“こんなことで日本は大丈夫か”と心配になったと真顔で言っていた。同感。バカも休み休みとは、昔の人はいいことを仰る。
地下鉄で半蔵門のL社でF1SCENEの打ち合わせ。大変革の新生F1SCENEに乞ご期待。


1月8日

ジャパンネット銀行のことをジャパネット銀行だと思い込んでいた。ジャパネット・タカタは、銀行までやっちゃって、たいしたもんだ、と思っていたわけですm(__)m。
テレビで二郎さんを見る。新橋の一徹寿司屋、いや寿司職人、プロの82歳。写真家の間瀬さんに連れられて何度か伺ったことがある。腰が抜けるほど美味かった。今まで食っていたのは寿司ではなかったと思った。しかし、自分の払いではとても行けない。二郎さんに自分で行ける身分になりたいゾ。
小暮卓史がホンダのテスト? フム、実現すれば少し面白くなるかも。
フェラーリのニューマシンが、“トヨタにそっくり”という声が聞こえてきた。確かに、ノーズなんて、ウリ二つだ。以前、真似したかお返し、でもないか。これでフェラーリが速かったら、トヨタはどうして遅いのかが明確になる。したがって、真似していただいてありがとう、と言うべき?


1月6日

世間的な冬休み最終日。しかし、当方には無関係だ。1年中休みのような、1年中働いているような気がするので。それにしても、最終日が日曜日というのはできすぎ。
欧米ではとっくに年が明けて新年の初仕事が始まっている。本日フェラーリが本拠地マラネロでF2008の発表会、明日はマクラーレンがシュツットガルトのメルセデス博物館でMP4-23をお披露目する。この2チームの発表が早いのは少々異例だ。特にマクラーレンは、開幕ギリギリまで新車を出さない“社風”がいつの間にやら早まって、今や2番目になった。これは時代の変化の現れなのだろうか。
フェラーリの新車は、最近になく斬新で未来的なイメージ。特にフロントのウィングお連結部分が美しい。さて、゛美しいマシンが今年も速いかどうか、来週のヘレス・テストをパスしたので、22日からのバレンシアのテストを楽しみにしておこう。


1月7日

久々に山田駅近くの練習場で打ちっぱなし。気合を入れてついついトバして250発。疲れた。当たり前? 以前は250発と言えば日課だったのになぁ。歳はとりたくないもんだ(笑)。
マクラーレンの新車が予定のヨーロッパ時間13時30分(日本時間21時30分)から1時間半遅れでアップされた。世界中からサイトに集中しているらしく、ダウンロードに時間がかかること。しかし、メディア・サイトなのにこれだけ混むとは。フェラーリはこうではなかった、ということは、マクラーレンの方が人気が高い? しかし、フェラーリが斬新だったのに比べて、あまり変化が目立たないシェイプ。しかし、よくよく見ると、フロントタイヤからサイドポンツーンの前方部分までの間が凄まじくグロテスクにして前衛的。さて、斬新が勝つのか前衛が勝つのか。今年の話題のひとつとして二重丸のマーク。


1月5日

昨日の疲れでグッタリとした一日。昨日の疲れとは、ゴルフ+食い過ぎ。しかし、明日締め切りの原稿があるので寝てばかりいられないのだが、シーズンオフはネタがない。ということで情報源の数カ所に電話したら、出るわ出るわ。日本のレースも、シーズンオフの話題ということなら世界レベルだな。
例えば・・・、オッと、書いたら原稿のネタがなくなるのでここまで(笑)。


1月4日

久々の、そして今年初のゴルフである。13年物のカーナビナビがとうとう壊れた対策として、夕べコピーして作った地図を家に忘れて、阿見東インターから20分もあれば楽々到着するはずのセベ・バレステロス・ゴルフクラブまで1時間かかったが、その甲斐があった。ついにエージシュートを達成したのだ!
ゴルフをご存じない方のために説明すると、要するに年齢と同じ打数で回ることだ。最近で言えば、青木功が10月28日の日本シニアオープン最終日に65歳で達成して話題を呼んだ、こちらは56歳だからスコア的には青木よりもっと凄い。ただし、あちらは1ラウンド18ホール、こっちはハーフの9ラウンドの話だけどね。

そういえば、似たような話を思い出した。パルサーで初めてレースに出た時のことだ。富士スピードウェイのフレッシュマンレース初出場は、おっ、すでに25年も前のことだゾ。初レースの私を迎える富士はあいにくの雨模様。おっかなびっくり走ったタイムは、2分18秒であった。これは、1970年11月にサニーB110のデビューレースとなったトランスニクスで鈴木誠一が記録したタイムと同じである。ただし、あちらは6kmのフルコース、こちらは4.3kmのショーコースだけどね。←似てるでしょ?
エージェントのお祝い(ウソ)で、某H社を円満退社して新人生を歩み始めたI上氏をダシにして、女房と同じイニシャルKYのY本K太郎さんと、S氏のA立氏で北沢のマルイチで焼き肉。クルマだったのでおいしいマッコリ(韓国どぶろく←美味! しかし、クイクイ飲めるので危ない)を飲めなかったけれど、今日もウマかった。ということで本日も食いすぎ。体脂肪は向上の一途だ。しかし、旨いもんは身体に悪いに決まっているのでしょうがないのである。


1月3日

FIAへのF1パス申請の準備。毎年この時期は頭が痛い。通常、媒体で取得するが、有限会社マイズとしてエージェントパスを取るのでひと苦労だ。
まずは、規定掲載媒体5誌の編集長に信任状を書いてもらうお願いから。その書式を一誌毎に用意して各誌の編集長にお届けし、サイン入りの信任状を作っていただきそろったところで郵送する。一緒に申請書と去年の取材実績としての雑誌とそのコピーを同封するからざっと8kgほどの小包になる。
書けば簡単だが、ここまでスラスラと必要処理ができるまで10年かかった。最初は、FIAのホームページを見ても、具体的にそろえるものが見えずに往生した。そもそも、媒体で申請していた時は、媒体のデータを示せば終わりだったが、個人名で申請(日本人では、知る限り津川哲夫さんと二人だけ←自慢)するとなると、マイズと山口正己が何者かを伝えるところから始めなければならなかった。オートテクニックやGPXで実績(今やこれさえ誰も知らないか)があったとはいえ、困ったことにFIAの担当者はちょくちょく変わる。変わる度に“私は誰か”の説明が必要になる。
さらには、いつだったかFIAがパリからスイスのジュネーブに移った時にはビックリ仰天。なんでもパリ-ダカでプジョーの失格でモメた一件の裁判を有利に展開するために、本拠地を一時的に引っ越したらしいが、そんなことはツユ知らずだったから、締め切り間際に気がついて、一端送った書類を全部作り直したんだかなんだか猛烈に焦ったこともあった。
さらに、FIAからの受理通知が届くのがいつも開幕ギリギリ。いつもドキドキして回答を待っているのだが、慣れるまでは不備もあった。するとFIAから、「これとこれが足らないので、○日までに届けない。さもないとパスは出ません」というFAXが届いたりする。問題は、彼らが極東の島国という我々のスタンスを全然考えていないことだ。“○日まで”が3日後だったりする。FAXを受け取るのは時差の関係で夕方以降。となると、実質上2日しかないから絶対に間に合わない。大慌てで事情をFIAに伝えて、知り合いに当たりまくってパリに行くそのまた知り合いを探し出して届けたり。最近は、メールという便利なものがあるのだが、FIAはあくまで「申請は郵送に限る」と仰るので大変である。不足分をPDFにしてパリの友人に送り、パリでプリントアウトしたものを届けてもらったこともあった。
こうして取得するパスがとっても大切なのも手伝って、初取材の1976年日本GP以来、パスは全部とってある。三途の川を渡るときには、どれか使えるかもしれないしね。

最近甘いものがやたら食いたい。これは糖尿病の前兆か。正月休みに食い過ぎたし、気をつけなくちゃ。


1月2日

相模湖に年始の挨拶。昼前に到着してひたすら食っていたので久々の食い過ぎ。運転があるのて酒を飲まなかった分だけ食ったのでますます食い過ぎである。
昨日と今日、二日間、原稿を書いていないのて禁断症状が出始めた。書きたいことが山ほどたまっている一方で怠け癖も絶好調。新年早々、世の中バランスが取れるのであった。


1月1日

新しい年が来た。しかし、家の中にいたら去年のままだ。年賀状が来たので多分新しい年になったんだろう(笑)。最近さぼり気味だった年賀状の返事を書く。新しい筆ペンが書きやすくて作業が進んだ。進んだどころか辞めたくなくなったので、ついでと言っては失礼だが、[the業界対決]の参加プロにも挨拶をお届けすることにする。コンビニで年賀状を仕入れて去年の[the業界対決]の写真をプリント。今年は、4月か5月頃、日の長いところでもてぎにお世話になる予定。さて、今年がいい年になりますように。


12月31日

女房と近所の肉のはなまさに行っただけで無情な大晦日が過ぎていった。ゴルフの練習にいけば充実の1日だっのにナァ。行く気になるでかくてきれいなロッテ葛西ゴルフがなつかしい。ということで、来年がいい年になるように祈りつつ、お笑い番組を見て年を越す。今年も平穏無事であったことに感謝。2008年の目標は、ドカンとどでかく“入力ミスを減らすこと”。←たいしてでかくないようだか、せっかちな私にとってはとっても大きい(笑)。


12月30日

痛快なテレビ番組をやっていた。ダイオキシンには害がない。ペットボトルを燃やしてもダイオキシンは出ない。京都議定書に則って日本が達成できる温度下降は、100年で僅か0.004度、などなど。F1の取材に似ていて面白いと思った。
ダイオキシンとグレイニング。どっちも便利な言葉だ。言葉が持つ本来の意味や実態が分からなくても、使うとなんだか利口そうな気分になる。“ペットボトルを燃やすとダイオキシンが出るから危険”と誰かが言った。尤もらしいのでどんどん広まった。広まる途中で頭のいい奴が便乗した。分別ゴミ袋で一儲けを企んだりしてね。かくて罪のない市民は、一生懸命ゴミを分別するようになった。しかし、例えば分別されたペットボトルがどうなっているかといえば、たいていはリサイクルなんてされなくて単に燃やされ、燃しきれないものは海外に輸出されて得体の知れないものの材料になっているんだとさ。

サバの皮のお焦げを食べるとガンになるという説がある。確かにうそではないらしい。しかし、ガンになるためには2トン必要だそうだ。さて、一体サバを何トン食えば2トンを摂取できるんだろうか?

“グレイニングはどうでしたか?”。F1の記者会見の常套クエッションだ。しかし、質問者のどれだけが、“グレイニング”という状況を認識しているのだろうか。ブリヂストンの浜島さんにそれを聞いたら、“多分ほとんどの人は、本当のところを知らないと思います”とのことだった。要するに便利な言葉に惑わされ、事実はどうでもいい、ってか?

分別ゴミになって、困ったことがある。仕事の関係で、普通の人の数倍の雑誌が郵送されてくる。新車のカタログ(ほとんど要らないし、必要ならホームページで見られるので、メーカー関係の方、カタログ発送リストから私の名前を外してください。これで多少は省資源に貢献できた?)まで入れたら大変な量になる。住処の八王子の雑誌の回収は2週間に一度。悪いことに、以前は分別していればいつでも受け付けていた住処の団地は、いつからか当日の朝6時から9時までしか収集所が開かなくなった。となると、2週間に一度の収集日の朝6時前に家族で出かけなければならない場合、また2週間分の雑誌が部屋の中にたまることになる。分別ゴミで変わったことと言えば、常に家の中にゴミがたまっている状態になったということだ。環境も大事だが、オレの部屋も大事にしたい。

こういうことを言うと、変な奴と言われる。目立たないようにするのが日本の道徳だ。“みなさん、そうしていただいていますから”とか言ってね。黙って分別してるフリして違うゴミを入れている奴が一番得するってシステムか?

“グレイニングって、分かってンの?”という質問をしたら、シラケるのでそういう質問はしてはいけないのが日本の掟だ。なので、「GT-Rは、凄すぎてオレには分からない」、と言える自動車評論家が何人いるんだろうか、というのも似てる気がするが、これは気のせいたな、きっと。


12月29日

女房と日の出町。11月にオープンしたショッピングモールに行ってみる。でかい。アメリカをきっかけに、クルマで出かけて何でも買えるショッピングモールが世界的大流行だ。ずいぶん前にスペインにもポルトガルにもあってビックリしたのを思い出す。日の出は、最近、圏央道が中央道とつながって、八王子方面からの利便性がよくなったのがオープンの理由か。道路は、産業だけでなくて消費を活発にする、ということで。しかし、ヒトツ問題は、新たにできた八王子西インターが、中央道方面からしか使えないこと。日の出から乗って帰りに降りようと思ったら、出口がなく、仕方ないので八王子インターまでグルッと遠回り。手前のあきる野で降りなくちゃいけなかったのね。だったら行きと同じく、ずっと下道の方が効率的であった。あきる野からの600円、返せ(笑)。しかし、日の出イオンモールの中華がデラウマだったので許そう。かくて半日ショッピングで足が棒のように疲れたので、ひたすらリビングでぐったりしてテレビを見て夜を過ごした。年末は、お笑い番組が多くて嬉しいが、まる1日原稿を書かなかったのは、何年ぶりだろうか?

12月28日

重い身体に鞭打って、早起きして八王子駅前のKKに書類を持参、その足でKW社にF1SCENE VOL4を持参して挨拶。これで一応世間的な仕事納め。しかし、午後は昨日の疲れ(もちろん、深夜の打ちっぱなし)で、ほとんど寝る。

ところで、仕事納めと言ったものの、夕方原稿を書いた。となると仕事納めじゃなかったってことか? てゆ〜か、そもそも何を持って仕事と言うのか。考えるに、勉強と仕事はなんだか似ている。共に“イヤなことを無理やりやる”というイメージがある。そもそも勉強の勉の左半分の“免”てのは、「狭いところを通る」という意味らしい。例えば、分娩も“免”がある。大変なことをやってこそ勉強、ってことだ。仕事は、“仕える事”だもの。そこに自由さは感じられない。
しかし、遊びと趣味にはなんだか自由がある。したがって、好きなことは仕事ではなくて遊びと言うべきだし、同じく好きなことを覚えるなら、それは勉強ではなくて趣味ってことになる。待てよ、もしかすると、これが日本チームがF1に勝てない秘密じゃねぇの? なんちゃってね。でも、当たってるような気もするぞ。ホンダの人たちが一番恐れているのは、トヨタが遊びを覚えてしまうことだと聞いたことがある。そりゃ、まじめでちゃとやるトヨタが遊べるようになったら怖いだろうと思う。それをF1に持ち込んだら、フェラーリもマクラーレンも真っ青だろう、と思う。しかし、幸か不幸か、しばらくそれはなさそうだ。それは残念なことだが、ホンダ外勤になんだかトヨタ的になっているのも気になるところ。来年は、“免”や“仕えること”を辞めて、楽しくやりたい。(←オマエはとっくにやってるって)。


12月27日

夕べ、眠りが浅くて寝不足状態で、突然多忙な充実の日であった。午後一から小平でブリヂストンの浜島裕英モータースポーツタイヤ開発本部長連インタビュー。Y家君とともに小川駅前のブリヂストンへ。数年前にきたときより施設が拡大してブリヂストンのエネルギーを感じて、“躍進するブリヂストン”という古びたフレーズを思い出した。いつものように浜島さんの話は、歯切れがよく理路整然と面白かった。テストに復活したミハエル・シューマッハがどうして優れているのか、など、興味津々の内容は、近日中にF1キンダーガーテンで紹介する。
一端家に戻って雑用をこなし、眠い目をこすりつつ、長男・次男を引き連れたオールスター・オフィスの忘年会。途中で抜け出してピストン西沢のラジオ収録。土屋圭市さんとともに、中嶋一貴を電話直撃。30分のトークは面白かった。こちらは、年始のJ-WAVEととにも、ダイジェスト版をこれまたF1キンダーガーテンでお伝えする予定。異色な(ある種無茶苦茶な)トリオと中嶋一貴のトークに乞ご期待。
忘年会に戻ってみると、すでにゲーム大会が終わっていたが、最初に選んだカードで、ブルガリのバッグが当たるというラッキー。去年も一昨年も、60人ほどの参加者の中で一番いいものをゲットしているので、今から来年分の参加予約をしておこうと思う。会場になった六本木ヒルズの交差点のトイ面地下一階の“Mandy”は、今年も食事がとっても美味かった。
さて解散、のと思いきや、I田さん突然、「ゴルフ練習にいく」というのでおつきあいすることにした。断る理由がないもんなぁ(笑)。ゴルフを始める山田さんというデザイナーを引き連れて葛西のロッテ葛西ゴルフ。深夜12時からの練習ってのも凄いメンバーだが、ロッテ葛西ゴルフのプリペイドカードを持ってたオレもなかなか凄いやね。ロッテ葛西ゴルフは、緑の美しさと広大を解放感のせいか、素晴らしいタマが打てる。しかし、もしかして、古くて重い自分のクラブより、軽くてでかいみなさんのアイアンのせい? フム、年末ジャンボの当選日にはそれを買いに行こう!


12月26日

風邪っ引き。体調優れず。というか普段が元気過ぎという説もあるが。ダラダラ&ウダウダとしていたが、南大沢の法務局に会社の謄本と印鑑証明をもらいに行かねば。11時に重い腰を上げる。公共的な書類なんかもらいに行くと、なんだか“仕事”してるなぁ、という感じになる。しかし、“仕事”ってのは生産性のないこと、って気もするがね(笑)。一端、家に戻って中央線。八王子から特急に乗ったが5分ほど遅刻して京橋のB社にF1SCENEvol4をお届け。広告に写真を使えるか、というありがたい打診をいただく。
18時30分集合のカーオブザイヤー感謝の集いまで、日本橋をブラブラする。三越には欲しいモノはなかった。いや、欲しいものはあったけど、買える物がなかった、というのが正しいか。
19時開演で盛り上がる。二次会のジャズが最高であった。音楽とは、“音を聞く”という以外に、“テクの鑑賞”というスタンスで見てもいいものであることを、エリック・クラプトンの武道館以来ビシビシ感じた。ドラムスは10代の少年とのことだが、素晴らしいテクニックの持ち主だった。なんだか中嶋一貴やゴルフの石川遼がが重なった。そういえば、夕べテレビでドキュメントをやっていた宮里藍は中嶋一貴と同い年。いつか対談、やってほしいぞ。若くても、日本人がなかなかやることが来年証明されるかもしれないしね。ついでに、明日、ピストン西沢のラジオ番組で、土屋圭市さんと一緒に中嶋一貴インタビューの予定が楽しみだ。

12月25日

某H社に別れを告げて新天地に向かう広報部のI氏を、F1SCENE2007vol4持参でごあいさつ。反対に昼飯をご馳走になった。21年間の勤続お疲れさまでした。

朝起き抜けが辛かった。果たして風邪にやられたか。体調悪化で打ちっぱなしを休む。ホントはいい汗をかいて直す、という手もあるかもしれないが、3時に帰宅してダウン。単に原稿書きたくない、という逃避癖かもしれないが。

1月末のバレンシアF1テスト→ブラックリーでホンダの発表会→パリ(?)でルノーの発表会の航空券を決め、レンタカーや不足部分の航空チケットをゲット。参ったことに、0.1ユーロ(←ホント)のライアン・エアがバレンシアから到着するロンドンのスタンステッド空港で安いレンタカーを借りようとすると、帰りのパリ行きが飛ぶヒースローで乗り捨てができないらしいことを知る。仕方ないので、電車でヒースローに移動してそこでピックアップする作戦か。あ〜、こんなのメンドクセェ。


12月24日

クリスマス・イブは、何も伝わってこなかった。まぁ、連日の打ちっぱなしでそこそこ昔の感覚を思い出したのが自分へのプレゼント、ということで。しかし、夜になっていっぺんにクリスマスがきた。まず、女房がプレゼントをくれた。こっちは何もしなかったのにm(__)m。続いて、往年の名ドライバーであり私の英雄であるI沢Tさんから、クリスマス・プレゼントとして“来年1年間の[F1をひろめよう通信]に御布施”を、というメール。感謝。こりゃ、一昨日読んだ『引き寄せの法則』をもう一回読まなくちゃ。次は3億円ジャンボに決まってる! めでたい奴? 生まれつきである。



12月22日

久々に近所の打ちっぱなし。突然、最も難しいとされる2番アイアンを打ってみたくなった。むずかしいけれど、ゆったりしたスイングならもしかしていいタマがでるかも、という願いはしかし、夢であった。昔は打てたが、全然だめ。力まないと全然飛ばない。力むと“ペチッ”という音で手がしびれるだけだ。それよりショックだっのは、猛烈に疲れたこと。2階打席で打ち終わって階段を降りようとしたら、思わず「ヘロヘロだ」という言葉が口をついて出た。歳である。これは毎日打ちっぱなしに通って身体を鍛えろってことに違いない。

12月23日

国金の書類をそろえる。こうした作業が一番嫌いだが、案外、すんなりそろった。そろうと、こういう作業もなかなか快適だと思ったりする。
連日の練習場。今日はスムーズに打てた。昨日はなんだったのだろうか。やっぱ、いきなり2番アイアンから始めたのがマズかったか。日当たり前だ。

帰宅して旅行代理店からのメールを確認。昨日頼んであったバレンシア行きのチケットが、うまく通じていなかった。バレンシアの後に、ロンドンに移動する。となると、すべてをパリ起点のエアフラ周遊にすると高くなる。なので、パリ−バレンシアもしくとパリ−ロンドンの往復を成田からのエアフラでつなげておいて、パリからのもう片方を、ライアンエアかVuellingというスペインの安チケットでカバーすれば格安で上がる。しかし、“途中は勝手にやります”というのが通じていない。相手に思ったことを伝えるのは本当に難しい。


[F1をひろめよう通信]でやりたいこと

F1の見物を始めて30年が経過した。美味いものを食ったら誰かに食わせたくなるのと同じように、そこで見たことを伝えるのがある種の義務だと思うようになった。
しかし、全然伝えきれていない。もちろんこちらの力不足があるけれど、発表の媒体も機会も全然足らない。足らないのは、発表される場が少ないからだ。少ないなら、作らなくちゃならない。そういう場が増えれば、より多くの人がF1を伝えるようになって、もっと広くF1が伝わるはずだ。
だからといって専門誌を作ってもたいした広がりは期待できない。専門誌としては圧倒的だった最盛期のGPX以上に売れたとしても、一般誌やテレビに比べたら微々たるモノだ。さらに読者が既存のファンでは、広がりへの貢献度は期待できない。
それよりも、一般誌やテレビ/ラジオを巻き込む方が効果は高くなる。そのための第一段階として、一般マスコミの中にF1ファンを作ることだ。ファンを作るためには、F1が一般マスコミにとっても興味の対象として魅力あるものであることを伝えることが必要だ。
高度なコンピュータ制御のこと、優れたドライバーの体力のこと、莫大な経済効果が期待できるビジネス社会であることこと、ナオミ・キャベルがすり寄るハイソサエティな世界であること、ベッカムやジダンや中田英寿が注目する高度なスポーツであること、エリック・クラプトンやヴァネッサ・メイが尊敬するエンターテイメントな舞台であること、500億人のテレビ視聴者がいる国際イベントであること、そして極東の島国がいかに貢献しでもなかなか認められない村社会であること、などなど。

☆プロのライターやフォトグラファーのみなさんへ
伝える場 を提供します。近々整理してもう少しスッキリさせます。原稿料は取り敢えず安いです。いつかマトモな金額を払える日を目指してF1を広めましょう。あなたの感性で捉えたF1の魅力を伝えてください。F1が広がれば、あなたの仕事も充実することになるはずです。

☆F1関連企業の方々へ
御社が活動するF1の世界が高度であることを伝えましょう。F1に参画してなすべきは好成績による宣伝効果を上げることではなく、クルマが素晴らしい仲間であることを訴える舞台に貢献することです。F1が素晴らしい舞台であることをもっと広く伝えましょう。それがやがて御社に“分かっている会社”という評価になって返ってきます。

☆F1ファンのみなさんへ
もっと仲間を増やしましょう。一人でテレビを見るより現場の方がなんだか楽しいのは、“同じ方向を向いている隣人”がいるからです。数が多いほど嬉しさは大きくなります。ファンを増やすためのアイデアをレーシングパブ にお寄せくださいm(__)m。

12月20日

夕べ寝込みを襲われた。と書くと相手が悪いように見えるが犯人は自分であった。「年末進行なのでギリギリです」。ギャッ、すっかり忘れていた。締め切り守るのが唯一の長所(そうでもないか)だったはずなのに! 早起きして書く。N島さん、平にご容赦m(__)m。

11時に“そろそろ出発”のアラームが鳴る。シャワーを浴びて、MP3プレイヤーを用意して出発しようと思ったが、プレイヤーが言うことを聞かない。やっぱ1980円はダメだな。諦めて、スペインGPの時にせしめた、いやいただいたaigo(マクラーレンのスポンサー)のMP4プレイヤーを使ってみる。コピーの仕方が分からず、長男に頼む。これで英会話の教材ができた。そうこうしているうちに出発時間が遅くなった。いそいそと八王子インターから中央道。アリャマ渋滞13qだ。様子を見ながら永福町で降り、下道を走ったら首都高の予測時間の15分も前に目黒に到着した。ダイハツ・ミラのベストバリューをお祝いして、全日空ホテルへ。一時帰国中の友人とF1談話。こんなところにもネタはあふれていた。感謝。しかし、長話が過ぎて予定していた打ちっぱなしは今日は諦めた。素振りする場所がほしい。

「引き寄せの法則」を読む。「否定せず肯定してみよう」。ダメといわずに何をすべきかを伝える、という基本が面白い。明るく生きる秘密が手に入って、二十歳の青年のように明るい気分になった。しかし同時に思い出した。息子たちに、アレするな、コレやるな、という教育をしていたことを反省する。しかし、奴らは若いから未だ間に合う、と自らを慰める。何事もプラス思考が肝心、ということで。

12月16日

次男と三男を昭島のトイザラスまで送り届けて、昭和の森で打ちっぱなし。昨日近所の練習場でつかんだコツを忘れないようにとひとしきり打ったが、全然上手く打てなくなってしまった。昨日のは誕生祝いだったのか。釈然としない状況で家路に着くも納得いかず。中央道八王子インターの近くの滝山ゴルフでもう百発。今度はすこしマシになった。場所が変わるとどうして球筋が変わるんだろうか? ハンマー打法の基礎に戻して、左の腰を入れて(書いてる今は理解しているが、数日後にはなんのことかわからなくなっているはず。要するに、言葉じゃゴルフは上手くならないってことだ)、ビシビシいけたので、40発追加して気を取り直して帰宅した。


12月18日

某チーム関係者と、某ブレーキ関連企業関係者と、某誌の某氏と銀座でしゃぶしゃぶ。なんと贅沢な夜であろうか。16日から3日間、何も食わずに我慢したお陰で(←ウソ)牛肉のウマサを久々に味わう。しかし、二次会で梅酒を飲みすぎて、帰りの終電が辛かった。なにせ各駅停車だと、東京から西八王子まで20回以上も停まる大サービス。「社内に汚物がありますので足元にご注意ください」という親切な放送で気分が悪くなった。梅酒は食前酒でたしなむもので、5杯もお代わりするもんじゃなかったですよ、T治さん。


12月19日

ロス・ブロウンの来日を、ひょんなところから知る。そういえば、10月末に、同じくひょんなことろから知ったロス・ブロウンとホンダの契約をニュースに書いたら、あちこちで大騒ぎになったらしい。ホンダの上層部もごく一部しか知らない情報だったからだ。しかし、こっちにはスペシャルな情報源があるのだ。教えるとなぁんだ、ってことになるので内緒にしておくが、情報源の方は、ロスのメル友であることと、その彼から言ってきたのではなく、たまたま、ホンダ以外の筋からとある噂を聞きつけて、メル友がホンダと契約したらしいよ、と教えてあげようと思ったら、実はとっくに本人から聞いて知っていて「でもまだサインはしていなって言ってたよ」とのことだったので確証が持てたのだった。
ということだったのだけれどホンダのチーム内では、誰が山口に漏らしたんだ、と騒ぎ(でもないか)になったらしい。もっと面白かったのは、あっちこちのサイトを見ている友人から、「ホンダからリークされたはずと書かれているよ」とか、「あいつは現場にも行かない癖して」とか勝手なことを書かれているよ、というメールが何本か入ったこと。最近、専門誌に原稿を書いていないのですっかり素人呼ばわりされているが、よく考えたら、プロのレースファンて素人じゃねぇの、と言われたらその通りなのでこの問題は、この辺で勘弁しておこうか。

KK八王子支店に書類を届け、銀座の新サーキットの発表会に行こうと思ったが、ロス・ブロウンのニュースが入って断念。プジョーのパーティに行くべきかどうか迷っているうちに時間になってしまった。

12月15日

誕生日おめでとうございます。って私ですが。本日をもって56歳。世の中的には定年だ。なので、本日から仕事をしないことにします。って言える身分になりたいわい(笑)。きっと一生現役なんでろうなぁ。
ところで、56歳というと、少なくともお兄さんではなさそうだ。おじさんどころか、下手したらジジイだぜ。現に、何人も孫がいる友人がいるもの。年だなぁ、と思った瞬間に、若返りのためにゴルフ練習場に行ってしまった。今日を境に、年を甘受した力まずテンションフリー・のスイングを心がけるようにしたら、とてもいいタマがビシビシ打てる。まだまだ捨てたもんじゃないな。ということで、年末年始にゴルフをセッティングします。おつきあいしてくれる人は連絡ください。
夕飯は無理して高級ステーキを買い込んで、焼き肉。家でやっても美味かった。女房に感謝である。しかし、チョコレートケーキはあまり好きじゃないって、知らなかったっけて? 少し時間ができたので、キンダーガーテンの原稿を書く。コバライネンがマクラーレンに決まって、大方のシートが埋まった。残るは、琢磨と左近の落ち着き先。いずれにしても、2008年のF1GPは面白くなりそうだ。


12月12日

凄いクルマに乗れるという期待感か、それとも時差ぼけか、はたまた単なる歳のせいか、3時に目が覚め、寝られないまま蒲郡モーターパークでGTRに乗る。う〜んあんまり楽しくないぞ。理由は簡単。GTRが凄すぎて、私のポテンシャルには完全なオーバークォリティだからだ。
パワーは凄い、コーナリングGの出方も桁外れ。したがって私のスピード感では、どんなに頑張っても、あまりの安定性の高さで何事も起こらない。
自分のプライドを守る表現をするなら、寝不足もあって重い重量のイメージが軽快さを削いでしまってスイスイ走れない。鈴木利男さんの助手席で、“こんだけ走れれば面白いクルマだ”ということはよく分かったけれど、自分でステアリングを握ると、コーナリング開始直後の“ここでアクセルオン!”というポイントが分かっても、重さが気になって踏み込めない。実際には鈴木利男さんがやってみせてくれたように、踏んでいけば、高い次元で作り込まれたサスペンションや駆動コントロールが機能して、リヤを出しながらフロントタイヤの推進力でグイグイと行きたい方向に曲がってくれるのだが、それができない。もっと軽くてFRだったら、乗りやすさははるかに高くなるはず、と思う。要するに、私のスピード感は、すでに20年前の代物。でかくて重い4WDには追いついていけない、ということだな。

新幹線で品川に出て、有楽町のビックカメラを散策した後に銀座のアルマーニタワーでメルセデスベンツ日本のディナーパーティ。二次会でワイン飲み過ぎ、電車が西八王子に到着したのは翌日だった。


12月13日

昨日の寝不足を取り戻すべく、11時までしっかり寝る。って単に起きられなかっただけだが。雑用を済ませて夕刻に出発。オフィスを移転したI田さんの引っ越し祝いと、某社を退職して独立する某氏の追い出し焼き肉。4時間食い続けて久々に六本木。島田みのりは元気であった。しかし、気がつけばI田さんと一緒のタクシーで家に着いたら5時だった。飲み過ぎ。


12月14日

昼までの原稿があるので、9時には起きなくちゃ。と思いつつ、気を失った自我が目覚めたのは10時30分。頑張って書く。が、やっぱり寝ぼけていた。二つのうち片方のテーマを書いて、ひとまず送信したら、ファイルが空だった。失礼しましたm(__)m。
寝不足のままボケッとしてたら、カメラマンのナベさんのお通夜を忘れるところだった。めじろ台の宝泉寺。焼香を済ませた隣の部屋に、1972年のバンクに向かうGTRと、1980年代の鈴鹿を走る中嶋悟と星野一義のF2の写真が飾られていた。F2の写真はシケインを後方から撮ったものだったが、向こうに見える観客席が一杯だった。昔は、F2(要するに今のFポン)も人気があったんだなぁ、いい酔っぱらいだった渡辺さんの思い出と一緒に懐かしかった。


12月11日

早起きして原稿。F1をひろめよう通信のアンケートを整理して出発。町田でI川さんと落ち合ってアンケートのシステム作りをお願いする。そのまま新横浜からひかりで豊橋。在来線で蒲郡で降り、マイクロバスに揺られて和のリゾートはづに集合。親睦会で、GTRのエンジニアと盛り上がる。4年前にチームがスタートして2カ月目からジョイントしました。水野さんに叱られっぱなし。理由は、これまでニッサンで培ってきた方法論や慣習をすべて否定されたから」。苦労はしたろうけれど、これはうらやましい話だ。“これまでニッサンで培ってきた”のは、すべて“会社の収益を上げる方向性”だったはず。つまり、自分のやりたいことを我慢した“ちゃんとした仕事”だったはずだから。GTRというクルマが少し分かって、明日の試乗会が楽しみになった。

12月10日

結局起きっぱなし。午前中に、電話工事が完了するはず。5年ほど前にADSL化で2回線を1回線に減らせと言われて従った後に、光通信に乗り換えて2回線が可能になっていた。要するに電話番号を二つ持てる元の環境になったのだが、面倒なのでほっぽりっぱなしだった。それを再び2回線に戻す手続きをしたのだ。連絡を待っても来ないので、送ってきたターミナルアダプターを長男と一緒に結線して設定をやってみる。最初は電話が通じたがパソコン通信ができず、ごちゃごちゃやっているうちに反対になった。出かける時間になってしまって電話が通じないので一端は諦めたが、しばらくしたらつながった。ホント、電気が嫌いといった本田宗一郎さんの気持ちがよく分かる。本田さんがご存命でパソコン使ったら、きっと5〜6台ぶん投げたんじゃなかろうか。クルマがパソコンの完成度だったら日に3度は死ぬだろう。ま、つながったのでいいとしよう。
中央線でウトウトしながら14時から秋葉原でF1をひろめよう通信の打ち合わせ。去年まで自作だった企画書をC社のshiさんのご好意でお願いすることにしていた。Y家君もジョイントして来年の打ち合わせも少し。帰宅してメールを開いたら、F1をひろめよう通信の送信者の一人である生沢徹さんから“スポンサーっていくらだい?”と連絡をいただく。こんな凄い方にも気にかけていただいて幸せ。しかし、いい気分に浸るのではなくて、いいもの作らねば、とちょっと焦る。

12月5日

まだ真っ暗な朝8時20分、白い息を吐きつつホテルを出発。20分で朝モヤに煙るヘレス2日目。といっても昨日のサーキット入りが遅かったので事実上1日目みたいなもんだ。
ECUが統一されてトラクションコントロルーが禁止されたから、みなさんスタート練習に余念がない。ベテランでも下手なスタートをするので面白い。ブリッピングしてクラッチをつないでいるようだが、音は上がれどクルマは進まず状態。ステアリングに着いた左右のレバーで、半クラッチまでとそこからつながるまでを分けて操作する。レバーは指一本で軽々と動く重さだそうだが、何せ今までは電子デバイスで制御していたものからいきなり能力の低いECUに替わって責任放棄されたようなものだから、ドライバーがコンピュータの代わりをしなくちゃならない。小林可夢偉に言わせると「与えられたモノで慣れるだけならいいけれど、F1は成長していくので、そこも考えつつだから大変」ということになる。フム、“成長”とは、F1を言い得て妙なり。来年は、ドライバーの反射神経の鋭さが試されることになりそうだ。その分、見ている方には面白くなるのでそこは楽しみ。

ホンダのエンジニアにロス・ブロウン契約の完走を聞き、左近にチームの状況を伺う。「ドライバーだけでなく、マネージャー同士でも探り合いがあって面白い」と他人事みたいに左近。「でも、乗れないとホント面白くないです」と本音もちらり。ドライバーは走ってこそだから、当然と言えば当然。
昨日散々迷ったので、今日は帰り道がバッチリ。一人の食事をどうするか考えた末に、ホテルの近くのでっかいスーパー“カリフール”で調達することにする。茹でた蟹と海老、アボカドのペーストとチップス、シャンパンと氷を買い込んでホテルに帰還。洗面所の流しに水を溜めて氷を入れてシャンパンを冷やす。待ってる間に海老を食う。食い意地が張って慌てたたために指を切った。本日もマヌケであった。シャンペンを一人で飲んだら、熟睡できた。当たり前だ。


12月6日と7日

8時にホテルをチェックアウトして順調にサーキットへ。今朝は朝モヤはないが朝晩は相変わらずの冷え込みだ。午前中に、昨日シャンパンで失った時間を取り戻して原稿(笑)。アッと言う間に出発の時間になった。12時にプレス仲間に別れを告げて15分でヘレス空港へ。マドリッドに移動し、マドリッド−パリを1本早い便に変更してもらって、無事パリから成田。翌7日の夜に成田に到着した。今回は、成田−パリ−マドリッド−ヘレス−マドリッド−パリ−成田だから離着陸は12回。飛行機事故の大半が離着陸というから、かなり危ない橋を渡ったことになる。今回も無事でよかったこと。
明日のゴルフに備えて成田全日空ホテルにチェックイン。時差ぼけ対策(あくまで時差ぼけ対策)で打ちっぱなし。200球1000円と安かった。気分がいいので調子もいいぞ。気分よく腹ごなしが完成したので、51号線沿いでレストランを物色。気の利いた店はなかったが、日本で飯を食える幸せで我慢してココスに入る。ところが、おろしポン酢ロースかつが、また食いたくなる超ウマ。大満足でホテルに戻る。入眠剤を飲むもゴルフ練習の効き目なくなかなか寝つかれず。シャンペン、買ってくればよかったなぁ。


12月8日

グリッサンド・ゴルフ・クラブでコンペ。昨日の私はどこに行っちゃったのであろうか。快心当たりは、最終ホールのドライバーたったの一発だけ。悔しいので帰りにロッテ葛西ゴルフに寄る。もちろん、これも時差ぼけ対策です。秋葉原に寄って、電話の会話をボイスレコーダーに録音できる装置探す。以前使っていたソニーのエレクトレックコンデンサーマイクロフォンしかない。前のが上手く使えないのは壊れているからかもと思って同じものを買う。家で試したら、やっぱり相手の声が聞こえない。どなたか、いいもの知ってサンタ朕ら教えてください。
近所のスーパーの前に屋台を出している山田屋で焼きとりを買って帰宅。日本は嬉しい。


12月9日

すべての時差ぼけ対策がまるで効き目なし。起きたら12時であった。飯を食ってリビンでボケッとテレビを見ていたらまた寝た。スペインのシャンパンがまだ効いているに違いない。
夕方、アメリカにいるというA久里さんに電話取材。ボイスレコーダーへの録音がうまくいかないので、諦めてメモる。いつもながら後で読めない、ってか(笑)。夕食は手巻き寿司。日本はいいなぁ。我が家もね。って仕事モードにならないのは困るが。結局原稿を書き終えて、これを書いたら突然アラームが鳴った。なにかと思ったら、早起きして原稿を書くために5時にかけておいた目ざましだった。今晩はシャンペン飲もう。
12月4日

ロストバゲッジを受け取って、イベリア便でへレス。と順調にいく予定だったが、ロストバゲッジ窓口が開くのは7時、荷物と無事に再会できたが、ターミナルが別にある。フライト時間は8時10分。忙しなくチェックインしたが、セキュリティチェックで何度も検査機を通される。いつも預ける荷物なので、ワインオープナーを入れていたのを忘れていた。安物なので没収でokになったが、今晩のワインをどうしようか心配のありま、2台のパソコンのうち1台を回収するのを忘れた。気づいたのは、機内に乗り込もうとしたときだった。バックパックがなんだか軽くて気が付いた。大急ぎで戻って無事に回収したが、マドリッドの新しいターミナルは横方向に猛烈な長さ。片道500mほどを往復して戻ったら乗るはずの飛行機はいなかった、ハハハ、と笑っている場合じゃない。昼から中本さんのインタビューがある。しかし、走っても間に合わない。結局4時間後の便でへレスへ。こいつがまた遅れて小さなヘレス空港に着いたのは午後2時。そしてさらに問題発生。レンタカーを、“ホリデーオートス”というエージェントからWEB予約した。何度か使ったことがある安いサービスだが、へレス空港は小さいことから、どうやら予定のフライト時間に係の人が出口で待ってるシステムだったらしい。4時間も待っちゃくれない。というわけで、予約を捨ててエイビスで借り直し。157ユーロの損失だ。しかし、そんなことで驚いちゃいけないのだった。

へレス・サービスは空港から見える距離にある。まともに行けばぐるっと迂回して20分もかからない。しかし僅かに道を間違えて、セビリア行きの高速道路に乗ってしまった。まぁ、次の出口で戻ればいい、とタカをくくっていたのが甘かった。隣の街まで出口がない。ざっと30km、往復60kmのドライブであった。サーキットに着いたら3時すぎ。中本さんを探して遅刻をわびてインタビュー。しかし、こんなことで驚いちゃいけないのであった。

サーキット近隣のレストランでおいしいイベリコ豚のハモン・イベリコとステーキを食って(Aさんごちそうさま)、幸せ気分でホテルへ。距離は10kmほど“高速道路のそばにあるからすぐわかる”という触れ込みだった。しかし、確かに結果的にはその通りだったが、すぐにはわからなかった。まず、へレス市内に入ってしまった世界的方向音痴(私です)は、街を抜けるまでにまずは30分。やっと目的のA4を捜し当ててカシス方向に乗ってひと安心と思いきや、そこからプエルト・デ・サンタマリアのプエルト・デ・ラ・バヒア・ホテルに到着するまで1時間以上かかったのだった。へレスのレストランを出たのが10時前、ホテルにチェックインしたら日が変わっていた。途中、何度も同じところに戻ってしまうきつねにつままれたような状況で混乱して無理やりUターンしたら、なんと自動車専用道路の反対車線! ヤベッ。大慌てで再びUターン。対向車がなかったのが不幸中の幸い。田舎でよかった。

しかし、到着したホテルはこぎれいな素敵なたたずまい。部屋もモダンなデザインで、申し分ナシ。これが2泊で85ユーロなら、最高の選択であった。問題は、机の上では無線ランが受信できず、毎回ドアのそばまで移動しなくちゃならなかったこと。まぁ、安いので我慢しよう。

12月3日(成田→バリ→マドリッド)

成田でラッキー。搭乗口で“本日、エコノミークラスは満席をいただいていますので”とアップグレイドのチケットをいただく。登場前、マイレッジでアップグレイドしようと思ったが、4万マイルはもったいないのであきらめたところだったので嬉しさもひとしお。しかし、エコノミーよりシートが大きくてははるかに楽だが、全日空同じく足が低くて寝ているうちに滑り落ちそうになる。まぁ、ぜいたくは言うまい。お蔭で飯も食わずに爆熟睡しているうちにパリだった。しかし、世の中バランスが取れるのであった。

パリに待っていたのはマドリッド行きの便がキャンセルされたという情報(笑)。エアフラの窓口で“別の便がないの”と訪ねると、「あるけど荷物が間に合わない」。“そこを何とか”と食い下がる。あちこち電話で問い合わせた結果。1時間前の便でokになった。“ところで荷物は大丈夫?”。「そう願っています」。フランス人的ありがたい返事であった。果たして、マドリッドで、私は荷物と会えるのだろうか。(ここまでパリ-マドリッドの機内)。

マドリッドに到着。待てど暮らせどコンベアカラ荷物が現われない(笑)。エアフラじゃしょうがない。ロスト&ファウンドの親切なオネェサン「今晩の10時半のフライトで到着します」、って、特定した荷物ならこんなに簡単に答えが出るのに。しっかりしてくれエアフラさんよ。かくて荷物のない妙な旅行者は、うつむき加減にタクシーに乗り込んでマドリッドの渋滞の中をホテルに向ったのであった。

到着したZENIT HOTELはまぁまぁだけど部屋で通信回線がつながり難い。ロビーに出てメールのチェック。山海堂が倒産したニュースに思わず声が上がった。とうとという感じはするが、彼や彼はどうするんだろう? 他人の心配してる場合じゃないが心配だ。しかし、これを機会に、何かがスタートする気もする。

続けて買い物カートの最終決定のやり取り。8時間先を行っている日本からのメールを確認して、9時間あとのアメリカに電話で知らせる。しかし、アメリカと日本の商慣習の違いは、まさに今感じている時差のようで、考えていたよりはるかに大変であった。末端のロジャーに余計なことをやらせてしまって身が縮む思い。

12月3日

5時起床、5時30分に家を出て、中央道、首都高、湾岸線経由で成田。すいていると高速道路はホントに天国だ。全日空ホテルにクルマを停める。友人のF木E郎から教えてもらったスペシャルテク、というほどのこともないが、宿泊前後1週間なら駐車場はただ。帰国が7日夜で、8日が全日空ホテルから5分のゴルフ場でコンペ。泊まるっきゃない。というわけで、 成田の第一ターミナルの中華で朝がゆ食って、パリ経由で今晩はマドリッド泊。明日早朝の便でへレスへ。今回のテストは話題満載で楽しみ。情報は、F1キンダーガーテンで。何か知りたいことがあったら掲示板に書き込んでいただければ、分かる範囲で調査します(笑)。

12月2日

NISMOフェスティバルのために富士へ。久々に芹澤プロに会える。車検整備でブレーキ研磨とリヤのハブ・ペアリングを交換したM3は、233333kmを記録して快調に中央道を突き進む。今回も快晴(後やや曇り)の富士での発見は、芹澤プロがミニカーに興味を持っていること。ニスモのゲストルームで食事をご馳走になった後に、ミニカーのブースを覗いて、グランドスタンド裏を見物。芹澤さんは、フェアレディZのニスモ・バージョンにご執心。「オートマがあったら欲しいなぁ」とつぶやくのが聞こえたようだった。

パドックに戻って、二人でサーキット・サファリのバスに乗る。解説の長谷見昌弘さんに芹澤プロをご紹介。こういう接点がもっと増えればいいと思う。明日に備えて、早めに富士を出る。矢村で三男のお気に入りの葡萄液、談合坂でタマネギのさつま揚げをゲット。旨いです。渋滞のない高速道路を気分よく八王子西インター。空いていればゆくり走っても高速道路は速かった。

12月1日

某デパートのショッピングカートの輸入のお手伝い。年明けにどこかでオッと思える気が利いたショッピングカートを見たら、それは私とロジャー安川の苦労の賜物と思ってください。日本とアメリカの慣習の違いをヒシヒシと感じつつ、頑張っている師走である。

ヘレス行きの準備にかかる。といってもホカロン買っただけだが。今年もヨーロッパは寒いらしい。温暖化はいずこ?

某F1チーム関係者にメール。ヘレスで話を伺うことにする。しかし、長旅を思っただけで首から肩にかけての辺りが痛くなった。仕事のしすぎ、ってことはないか。だいいち、月曜日に完成させようとしていたはずの原稿がいっこうに進んでいない。

電話を2回線に戻すことにした。元もと2回線だったが、5年ほど前にISDN化したときに1回線にしないといかんと言われて従った。その後、光に換えて2回線もいけるようなっていたけれと、面倒を理由に放置しっぱなしだった。ついでに、送信できないままだった複合機のFaxを、説明書を見てカスタマーサビスに電話したら、単にプッシュ回線用の設定になっていないだけだった。今のご時世、最初の設定がダイヤル回線とは、なんたる気の利かなさよ。

朝青龍と亀田会見は面白かった。何が面白いかといえば、兄に比べて弟の頭の悪さか露呈したことと、勘違いしているマスコミの態度。それはともかく、亀田次男の今後について、裏で誰かが糸をひいてるのか? 仮にこのままおとなしく謝ったらどうなるか。専門筋では、1年間の出場停止は致命傷といわれる。つまり、再起戦に勝ち目はない。とすると、1年後までどうやってつなげるかだ。おとなしく謝れば時間とともに忘れられるだけ。しかし、突っぱねてヒールを貫いておけば、“ザマミロ”と言いたいファンが再起戦に注目するという按配。もちろん、こんな頭脳的な筋書きを大毅自身が考えられるわけはない。誰が考えてもいいけれど、結局踊らされるのは、視聴者ってことを肝に銘じておかなくちゃ、と再起戦を見ることにしている私は思います(笑)。

ところで、“謝罪会見”て、誰が考えたんだろうか。そもそも、一体誰に謝るの? 思い出すのは、勝新太郎がハワイからパンツに麻薬だかなんだか隠して捕まったときのお兄さんの若山富三郎さんの会見だ。「弟さんが世の中を騒がせていますが」というレポーターに富三郎さんが怒鳴った。「騒がせてるって、テメーらが勝手に騒いでいるんじゃねぇか!」。痛快。

亀田大毅が、「朝青龍には、もっときちんと謝ってほしかったな」とか言えばオオウケだっのに。彼の頭脳ではそこまでは無理か。朝青龍には、復帰して来場所に優勝してもらってその上で次の場所でこてんぱんにやられるという筋書きがいいと思う。ここで負けたら肩すかしだし、勝ち続けては相撲の名折れだ。品川庄司が、「最後は総合格闘技で大毅と朝青龍戦」と言っていた。流石芸人、目の付け所が違うと感心。


11月30日

面倒くさいがしょうがない。国際免許の申請に府中の自動車試験場。いつものように、あちこち有利な経路を注文して旅の魔法使いの渡部さんにお世話になって航空券を予約して、ホテルとレンタカーをインターネットで確保、並行してサーキットにパス申請。これだけで丸々2日。やりたいことをやるのはしんどいのだ。さらに、体調悪化で下血があったので、点滴を受けに青山。下血って、鮮血だったので、出口に近いから、単なる痔なんだが、それでは同情が買えないので。ヘレス行きは、一切合切を入れると20万円+の出費。取り返せないことは分かっているが、まぁ、そんなの関係ねぇ、というわけで。

それはいいけど、国際免許、日本の免許証の住所と名前を欧文にして、西暦を付けるだけで世界中で使えるようちなるのに。わざわざ、国際免許を取得するために時間を使い、どこに行くんだか分からない金(2650円)を払って、ホントに無駄なこって。これがなくなったらお困りになる天下りやらがいるんだろうから、ちょっとやそっとじゃなくならないか。しかし、みんなどうしてこういうことに文句を言わないのか不思議。俺は与党派だけれど、この際、民主党に天下を取っていただいて、一回底浚いをするしかなさそうな今日この頃。

そういえば、年末ジャンボを買ったことをすっかり忘れていたが、それで思い出すのは従兄弟の話。30年ほど前、彼は宝くじを買ったんだな。で、初めて買ったので、大事に番号を手帳にメモして、しっかりしまっておいた。当選番号発表の日、そのメモを見たら、あった! 10万円! 万ざ〜い!! 当時としては大金だ。しかし、なのであった。肝心の宝くじをどこにしまったか忘れちゃったのだった。
俺にも宝くじの思い出はある。25年ほど前、オレは阿佐ヶ谷に住んでいた。会社は本郷三丁目。阿佐ヶ谷から中央線でお茶の水まで行って丸ノ内線に乗り換えるのだが、その日は岩田カメラマンが渋谷だったか、通勤経路から少しはずれた駅のそばのオリンパス・サロンで写真展をやるというので表敬訪問することにしていた。朝、意気揚々と電車に乗って東中野辺りで気がついた。財布を忘れた。通勤路線からオフセットした一区間の電車賃がない。さて困ったと考えて、ハタと思い出した。鞄の中にずいぶん前に買った宝くじが入っていることを。10枚あるから200円は当たっている。よっしゃ、渋谷までいけるゼ。再び意気揚々と新宿で電車を降りてヨドバシカメラの前の宝くじ売り場。差し出した10枚を儀礼的に「ハイハイ」と受け取ってパラパラとナンバーチェックするお母さん。「あら、500円当たってるわよ」。それを聞いた瞬間、思わずデカイ声が出た。「ヴぇぐぇ、そっそんなに当たってるんですかぁっ!」。雑踏の人々が、ザワザワと振り返るのがが分かった。ほとんどの人が100万円は当たったと思ったに違いない。たったの500円でこいつ、何喜んでるんだ、という非難の視線。辛かったなぁ。だって200円だと思ったら、500円だったんだもんなぁ。

結局車検は20万円弱。ハブも換えて、ブレーキを4輪ともバッド交換とディスク研磨、室内清掃などなどが重なったので、いたしかたなし。


11月29日

12月4日からヘレス・サーキットで行なわれるF1合同テストにやっぱり行きたくなった。早速旅行代理店に問い合わせ。パリ→マドリッド→セビリアの航空券、それにホテルとレンタカーでザッと25万円。う〜ん痛いけどなぁ。ロス・ブロウンの初現場、中本さんとの2ショット、小林可夢偉の初現場、スリック・タイヤ復活初テスト、佐藤琢磨の今シーズン初テスト、中嶋一貴のトラクション・コントロール体験、シューマッハ+フェラーリも拝めるし、タイヤの話も面白そう。左近にも会えるか? もしかしてアロンソが突然どこかで走ったりして!?

M3を近所の青木自動車に車検。ブレーキのバタツキとリヤのハブのガタツキを入れるとザッと15万円。またまた痛いなぁ。そうだ、年末ジャンボ、買おう(笑)。


11月28日

先週は、モータースポーツ関連イベント目白押し。日曜日に鈴鹿のFポン最終戦、その翌日がARTAとSAF1のファン感謝デー、水曜日がゴルフ(←関係ない)で、木曜日がもてぎでホンダ゙・レーシングのサンクスデー、そして日曜日は富士スピードウェイでトヨタ・モータースポーツ・フェスティバル。どれも大入りの大盛況であった。
要するにファンは、モータースポーツに触れたがっている、ってことだ。もてぎに2万1千人、富士に3万人。富士を例にとると、当日券2000円、前売り1500円、トヨタ関連企業の特別販売なら1000円という値段の安さもあるが、雨の日本GPの悲惨な結果でマイナスイメージもあるはずだが、にも関わらずこれだけ人が集まるということは、モータースポーツは捨てたもんじゃない、という結論にしてもいいかもしれない。ただし、富士のかんけいしゃは、この結果で罪滅ぼしができたと思うなかれ。これとそれとは別の問題なので。
翌週の26日には新宿のホテルでFポンとスーパーGTの合同表彰式が行なわれた。我田引水ばかりが横行する日本の社会構造からして、合同は画期的なことだ。今後、もっともっと発展して、モータースポーツ全体が一丸となってアピールするようになってほしいと思う。自民党モータースポーツ振興議員連盟杯と経済産業大臣杯が授けられ、自動車が日本の基幹産業であることを考えれば、この日が将来、記念日として振り返られるようになってほしいと心底思う。


11月16日

トヨタ自動車モータースポー推進室からナントモハヤなメールが来た。22日のTDP活動報告回に中嶋一貴が参加できないため、翌23日の「中嶋一貴スペシャルトークin MEGA WEB」の前に報道関係用の時間を設定します」という。ありがたいが、その日はもてぎでホンダのファン感謝デー、すでにホテルの予約もしてある。どうしてこう気の利かない決定をするかなぁ。できる限りモータースポーツ関連のマスコミ露出の可能性を高めることを考えるべきなのに、同じ日にぶつけてどうするの。あきれて開いた口がふさがらないぞ。まぁ、ファンのためには、あちこちでいろんなことがあるのはいいことだ、ということで、やむなしとするか。


11月13日

本当にアッという間に時間はすぎる。出しっぱなしだからしまわなくちゃ、と思っていたガスストーブの季節になっていた。しまわなくてもよかった、ってことか(笑)。ところで久々の切り番。自分で獲得したいけど、。うまくいくかな。


11月6日

電話インタビューは20年前の方が簡単だった。電話に聴診器の小型版をペタッと貼り付けるだけで、双方の声が確実に録音できた。2年ほど前に仕入れたイヤフォン型のマイクはどうもうまくいかない。受話器が当たってゴソゴソ言うし、第一、どこかで壊れたか、相手の声がまったく収録できていなくて焦ったりもした。誰か、優れモノを知っていたら教えてください。できれば、ハンズフリーでメモを取りやすいのが嬉しい。

目が疲れる。数時間パソコンを見ていると、ぼやけて見えなくなる。って、そもそも、ガキのころから、テレビは離れてみなさい、と言われていたはずなのに、至近距離からテレビを見ているようなもんだから無理もないか。しかし、パソコンを見ないことにはメシの食い上げだし、誰か、いい方法を知っていたら教えてください。

調べ物をしていて、プロゴルファーとレーサーを集めて毎年楽しんでいる“the業界対決”のリストが目に入り、突然、9月に紛失して新機導入以来、断片的にしか登録できないない携帯電話の番号登録に走る。これまた至近距離でモニターを睨んでいたもんだから、今日は目の疲れが最高潮。誰か、携帯電話の番号登録を簡単にできるソフトを知っていたら教えてください。


11月3日

アロンソとマクラーレンとの契約が終わった。それはいいのだが、「来年どこに乗るかは冬休みの間にゆっくり考える」だと。ちょっとキミ、キミの動きが他のドライバーのシート全部に影響していることを考えたことがあるのか? という問いに対して、アロンソは答えられないだろう。なぜなら彼は日本語が分からないからね。という冗談はともかく、やっぱり、あのシューマッハを倒して2年連続ワールド・チャピオンになるようなタマは、普通の神経じゃないことが分かってなんだか安心した。しかし、そうなるとストーブリーグの記事が書きにくくなったことに気付いて、オマンマの食い上げだ。やっぱりアロンソ君、早く決めてくれたくれたまえ、あ、日本語分からないんだっけ? hurry up! Fernand! これでよし。


11月1日

カーオブザイヤーの最終選考に残る「10ベスト」が決まった。ホンダ・フィット、三菱・ランサー・エボリューション、ニッサン・スカイライン・クーペ、マツダ・デミオ、スバル・インプレッサ、トヨタ・マークXジオ、ダイハツ・ミラ、メルセデスベンツ・Cクラス、VW・ゴルフ、プジョー・207。10点入れたかったBMW-M3が残らなかったのは痛いナァ、いや独り言。毎年繰り返しているけれど、インポートカーが一緒になったときに25点の持ち点を35点に増やしてくれていれば、こんなに苦労しなくて済んだのに。あれに10点いれると、あれに6点であれに5点、もう残りが4点しかないのだ。誰か、10点貸してくれない?


10月31日

月末は忙しい、というのが普通の人だが、オレには関係ない、と思っていたら人並みになった。連日の富士通い。30日に一日で済ませるつもりだったスバル・インプレッサと、レクサス・オールラインナップ試乗会。だが、30日午後に中嶋一貴会見が割り込んだ。携帯電話をなくして電話番号を聞くために列席する関谷さんにも会いたいし(←違うだろう!)。結局、30日は、八王子→富士→八王子とクルマで動き、一端家に戻って電車で→水道橋→八王子。31日に、再び八王子→富士→八王子と道路公団とガソリンスタンドに貢献することになった。そういや、一昨年は千代田石岡でゴルフだったので、3日間で走行距離が700kmほど伸びた。しかし、3日とも好きなことやってるんだから、まぁいいか。

インプレッサで富士を走って気がついたことがみっつあった。ひとつは、インプレッサがよすぎてオレのスピードでは何も起きないこと。スバルの走行評価にこの人あり、の辰巳さんに文句を言った。「もっと低次元でドラマチックになにかが起きるクルマにしてよ」。辰己さんは笑って相手にしてくれなかった。それにしても、ペター・ソルベルグの助手席体験の抽選にはずれて残念だった。って、そもそも、抽選じたい、辰己さんに文句言ってて知らなかったのでしょうがないか。

もうひとつは、久々に走った富士で発見した。日本GPの最終ラップの最終コーナーのマッサとクビツァのバトルで、立ち上がりで追い出されてコーナーをはみ出したマッサが、一貫の終わりと思ったらアリャ不思議、前に出ていた理由が分かった。最終コーナーのアウト側のランオフエリアは、バンク付き。ハミ出しても速いわけだ。これからこのラインが主流になるか、それともそういう“ズル”を防ぐためにコース改修? こういうコトに気付くのも、ゆっくりしたスピードでしか走れなかったおかげだ。まぁ、デジカメ片手に写真取りながらなので、遅くてもしょうがない、ということで。そしてみっつめは、まだ特設スタンドの撤収作業が続いていたこと。ちょっと驚いた。

31日にも発見があった。レクサス全部に乗れる、というありがたい試乗会だが、原稿に追いまくられて(←実は単に時差ぼけでサボッただけだろって)、富士スピードウェイの東ゲートを入ってすぐのレクサスカレッジに到着したのは3時であった。ズラリと並ぶレクサスから、まずは空いているGS460。クルマは乗って5m走れば分かる。実は、“それ以上のことが分からないだけ”だったりするが、ともあれ。走り出した瞬間に違和感。ステアリングの応答性がなんだかリンクがゴムでできているみたい。サスペンションのスポーツモードとノーマル・モードのスイッチを切り換えても、違いが分からなかった。鈍くてゴメンナサイ。しかし、IS250には腰が抜けそうだった。むっちゃいい感じ。ステアリング・フィールも実にリニア。エンジンも素っ晴らしい。走ったのは三国峠のワインディングだけだったが、多分、高速道路ならその後に乗った350の方がいいかもしれない。しかし、ステアリングの応答性、アクセルレスポンス、エンジン音、肩幅にピッタリしている感じで振り回せる取りまわしのよさ。俊敏とか機敏とかいう言葉を思い出した。すべてが100点。久々に、帰りたくないクルマだった。難点はふたつ。ひとつは、シートのホールドが少し足らないこと。もうひとつは、グリルのデザイン。リヤビューの肩の高さは我慢するとして、ラジエターグリルはなんとかならんのかな。5年前に死んだ親父は、40年前から、「日本車はラジエター・グリルが下手だ」と言っていたが、最近、本当にそう思う。オレが歳を取ったのか、親父が正しかったのか知らないが。


10月22日

17日に成田を出発、トロント経由で30時間軟禁状態でサンパウロに到着。思ったよりも辛くなかったのは、トロントでステーキを食えたからか。すでに時代後れかもしれないが、最終戦ブラジルGP会場のインテルラゴスのプレスルームで、Hayちゃんから“脳内メーカー”のサイトを聞いた。所定の空欄に名前を入れると、その人の脳内イメージが出る仕組み。私のは、Hと休で食という字が囲まれていた。大当たりだ。お試しあれ⇒http://maker.usoko.net/nounai/。

ブラジルGPは、凄いレースだったが、ふたつのことで消化不良。ひとつは、燃料温度の件でウィリアムズとBMWザウバーに違反の疑い。なんでも気温より10度以下に冷やしちゃいけないところを、12度前後の差があったらしい。たいした問題ではなさそうだが、問題は、2チーム4人のうち3人が4位と6位、ハミルトンより前にいるから、違反が成立するとハミルトンの順位が上がってライコネンからタイトルを取り戻せる。一端はお咎めなしにあってけれど、マクラーレンが提訴して、F1GPは幕を閉じることができないまま、パリで行なわれる審議を待つことになった。友人は、「最終戦はパリですね」とうまいことを言った。原稿に遣わせてくれ、といったらただじゃ嫌だ、と言われたので、ここで我慢。

もうひとつは、日本の不振だ。ホンダもトヨタも琢磨も左近も、不完全燃焼の結果に終わった。唯一の救いは、中嶋一貴が、初めてのF1で及第点だったこと。最初のピットイン(つまりカズキにとってF1初体験のピットイン)で勢い余ってメカニックを跳ねてしまうというミスもあったが、当のメカニックやチームは、「カズキは ホーリングがうまい」とジョークで許してくれた。そして、その後のリカバリーが素晴しかった。並の新人なら、ミスに混乱してぼろぼろに乱れるところだが、カズキは「申し訳ない気持ちでゴメンナサイと思い続けたけれど、思ったところでどうなるものでもないのでレースに集中しました」といい意味でのふてぶてしさで乗り切った。ファステストラップは、22台中なんと5番手! 来年のシートがきまっだわけではないけれど、もうひとつ楽しみが増えたことだけは確かなようだ。

しかし、それにしてホンダとトヨタのふがいなさ。いや、悪いのはホンダでもトヨタでもなくて、日本の“会社組織”という実にF1向きではない構造だ。ヨーロッパの手練手練と戦うためには、“人事異動”て甘っちょろいことでは通用しないことを、どうかひとつ、上層部の方に気づいてほしい。富士の未曾有の大渋滞も、管理しようとしたそうした構造が根本原因だと気づかれんことを。これから帰りの飛行機の30時間の旅が待っているので、ついつい文句が出たのであった。さらば、ブラジル。モルンビーの丘に行きそびれたなぁ。


10月12日

久々に時間ができたので、待望のニューホイール組み換え。以前、ガソリンスタンドで組み換えを頼んでホイールに傷をつけられたことがあった。カーショップよりもタイヤショップだろうと思い、いろいろ迷った末に20号沿いの高尾方面にタイヤショップがあることを思い出した。洗車してお清めしてからホイールを積み込んでいざ出陣。30分ほどで完成した。同じレイズのTE37だが、白からガンメタシルバー(ウィリアムズF1と同じ特別色))に変わっただけで、イメージが一新した。大事にしなくちゃ。


10月13日

足元を新調したM3で高尾のI田さん宅へ。レクサスに乗り換えて中央道で河口湖カントリー・クラブ。美しい新緑の洋芝と低調なゴルフ。久々にカートを使わなかったら足の痛さよ。I田さんとT治さんの3人で、東名高速で羽田。熊本に移動して、明日はオートポリスのスーパーGT。疲れた。


10月08日

上海は台風である。通常は、月曜日に帰るのだが、 F1を広めよう通信/WELLの締め切りと校正が重なるため、火曜日の便にした。皆さん月曜日で台風のど真ん中、の予想だったのに、突然台風ったら、速度を緩めて火曜日に上海直撃だと(笑)←笑ってる場合じゃないが、速度とともに勢力も弱まって、なんとか無事に帰れそうだ。というわけで、上海で一人で中華を食うことになった。一人の中華ほどわびしいものはない。誰か付き合ってくれないかなぁ、と思わずわびしさで泣きそうになったが、美味くてついついニンマリしちゃったりして。

二か月の日記更新を突然思い立ったのは、本日台北からのメールで、「更新しないと心配だ。待ってるよ〜」という連絡が100件を越えたからだ。Tさんには、記念品を差し上げます、てのはウソ。サテここで問題です。ウソなのは、1)100件越えたこと、2)記念品をあげること、サテどっちでしょうか。

更新休止の間、イタリア&ベルギーGP、日本GP、中国GPを消化した。この間の最大の出来事は、9月19日に起きた。マルペンサ空港行きのバスから降りたところで携帯電話の紛失に気が付いたのだ。いや、気づいたことがショックじゃない。なくしたことがショックです、って当たり前だが。何しろ番号登録400件以上もショックだが、これは面倒を無視すれば何とかなる。しかし、問題は予定表をすべて携帯電話のスケジュール機能にインプットしていたことだ。これには参った。その瞬間から、“今日は誰かと約束していなかったか、どこかで試乗会がなかったか”と、戦々恐々の毎日である。そして、実際に起きた。9月24日、日本モータースポーツ・フェスティバルの会場で、T誌のNさんに、「原稿、待ってますよ」と言われた。ギャビ〜ン! すいませ〜ん! 昨日が締め切りであった。しかし、この程度の被害でよかった。というわけで、どなたか、9月上旬以前に、私と約束がある方、失念している可能性大なので、日時と内容をお知らせください。これでよし。←って、何が?

しかし、ラッキーだったのは、超薄型の去年型が、番号変わらずにその場で手に入ったこと。代金も7300円也。たまにはなくしてみるもんだ。

もうひとつ思い出した。日本GPである。30年ぶりの富士。多くの若い人にとっては“鈴鹿から富士に移る日本GP”に違いないが、オレにとっては“富士に戻ってくる日本GP”だ。1976年に初めて日本にやってきた富士スピードウェイのF1グランリinジャパンは、忘れもしない初取材。初めてプレスパスをもらったのがF1という何たる贅沢な人生なのである。そのパスをポケットに忍ばせ、会う人ごとに自慢した。カメラマンの岩っちゃんは、「よくとってあったねぇ」と感激してくれた。間瀬明さんも森脇さんも微笑んでくれた。同じレースを見て頭がパンクして渡英を決断した津川哲夫さんは、「バカだね、相変わらず」と誉めて(多分)くれた。ウェルカム・パーティでバーニー・エクレストンさんに見せたら、“おめでとう”といってくれた。自慢しているうちに広がって、金曜日のレッドブルテンにも登場した。しかし。

そうした浮かれた自慢が消し飛ぶレースだった。返す返すも残念なのは、仲間が増えるはずのチャンスが、むしろ逆転してしまったことだった。1976年、グランドスタンドの裏からピットを見下ろした瞬間、目に飛び込んできたのはニキ・ラウダのフェラーリだった。クラッとめまいがして思わず手すりにつかまった。

木曜日の夕刻、やはり1976年に16歳で初めてF1を金網越しに見て“いつかあっち側になりたい”と夢見た鈴木亜久里さんとスタンドからピットを眺め、「オレたちみたいに思う人がたくさんいてくれるといいね」と言ったのに。雨を怨んでもしょうがない。けれど、F1を私物化しちゃってる勘違いは断固として許せない。鈴鹿だ富士だトヨタだホンダだフジテレビだって、アンタたち、観客はF1だから見に来るのであって、場所やバックやスポンサーは関係ないって。そこんとこ勘違いして、思い出を作りにやってくる観客の夢を台無しにしないように。

一服の清涼剤。上海のパドックハウスで亜久里さんに取材をした。日本GPのことになったとき、「最大の失敗はさ」と言うので何かと思ったら、「お客さんのこと、知らなかった。知ってたら、バスを待ってる間に、サイン会とかトークショーとか、たったの1000人かもしれないけれどしてあげればよかった。気づかなかったのがオレの最大の失態」。聞いていて涙が出た。「来年は何かやるから、ウチのチームはさ」本当に悔しそうに言う亜久ちゃんを見直した。
8月13日

最近、更新できない理由が分かった。まずは、去年2月の顔面麻痺。そして、それが直ったころの8月から始まった[F1をひろめよう通信/WELL!]。どっちも忙しすぎが原因。そもそも、顔面麻痺で「あんまりがんばっちゃいけない」と医者に言われて、素直なオレは、がんばらないように務めた。元々がんばっていないクセして(笑)。
という風に言い訳が出るといことは、少しは毎日書いていないことへの反省はある、というとでみなさん、お許しをm(__)m。・・・・・これでよし(←何が?)。

インターネットは便利だ。便利だが不便だ。便利だから、F1取材のホテルやレンタカーの予約が自分でできる。できるもんだから、いろいろ知らなくていいことを知ってしまって、もっといい条件があることがチラチラ見えたりして、結果として深入りする。ハンガリーGPからトルコGPまで3週間あるが、そのトルコを欠場することになっていて、さらに世の中のお盆休みに合わせて、ついでに[F1をひろめよう通信/WELL!]のVOL12が1週間遅れることになったから、時間ができた。時間ができるといろいろなことをしたくなる。というわけで、今日は朝からズ〜ッと、イタリアGP-ベルギーGP、その間のフランクフルト・モーターショーの宿とフライと、レンタカーの手配で終わった。なにせ、Ryanair、片道0.01ユーロってたったの16円だもの。嘘みたいなホントの話だ。税金入れて、ミラノ往復が50ユーロ、約8000円てんだから笑っちゃう。Ryanairが日本に来たら、日本-ヨーロッパ往復は500円くらいのはず。だが、9月になってもハイシーズン高額期間は過ぎていなくて、単純往復で20万円。すでにマイルはそこを突いたし。しかし、これで2戦連続こなせるなら、飛行機代は1戦10万円+ってことで、仕方ない、と我慢か。

ゴルフがしたい。時間は多少あるが、踏み切れない理由がある。女房が単純ヘルペスに襲われた。口の右上が赤く発疹ができた。痛いわけではないけれど、そこが突っ張って気になって仕方ない。ヘルペスは50歳以上なら誰もが持つウィルスだが、体力が弱ると顔を出すらしい。そもそも保育園の手伝いをしている女房だが、ヘルペスは乳幼児には危険なウィルスらしく、仕事を休んで療養生活。そんなときにゴルフという気分ではない。というわけで時差ぼけも直らず、深夜に目が覚め昼間に寝る生活が続いた。

テレビの報道に感じる日本のバカ平和。朝青龍に安倍総理まではまだいいが、荒川上流に現れたいるかを、ヘリコプターを使って追跡し、死骸が見つかったと寄ってたかって報道する。いるかの死骸を放映して何が面白いんだか。趣味の悪さに呆れてモノが言えない。

8月1日

またまた、アッというまに時間が過ぎた。今日からハンガリーGP。ヨーロッパGPをお休みしたら、支度に戸惑った。1ヵ月も空いてないのに年端取りたくない(笑)。
実は、ハンガリーは一時、休みにしようかと思った。エコノミークラスで飛行機代だけで24万円だもの! 大赤字。しかし、カードのポイント移行が間に合って、得点航空券をゲット。税金の5万円だけで済むことになった。とはいえ、ホテル代にレンタカー代を入れたら、決算の税理士から、「収入は上がっていますが航空券代などが嵩んで赤字です」と言われた理由がいまごろわかった。(←遅い)
そういえば、得点航空券と言えば、前回のフランス−イギリス連戦もエアフランスの得点航空券だったが、帰りの便は突然アップグレイドされてビジネスクラスだった。しかし、どうしてアップグレイドされたのか分からないと、次から期待しちゃうなぁ。
ヨーロッパGPはお休みして、某所のイタリアンで星野一義さんやピストン西沢さんとテレビ観戦した。みんなで見ると楽しい。もっとも、あれだけメチャクチャなレースだったたら飽きなかった? それとはもかく、たとえば後楽園球場で放映すれば、グッズのブースも出たりして楽しいお祭りになるのになぁ。権利の問題で難しいかもしれないけれど、フジテレビ、考えてほしいゾ。


7月20

またまた1ヵ月以上サボってしまったので、タイトルを「今月の山口正己」に直さなきゃ。心配していただいた方々に、この場をお借りしてお礼いたします。って、日記にこんなこと昔は書かなかっただろうなぁ。

ともあれ、カナダとアメリカ、フランスとイギリスにそれぞれ2週間ずつ出かけていて、6月7月は合わせて29日間日本にいなかったので女房は幸せだっただろう。私は寂しかったが(笑)。
面白いことに気がついた。時差が一番きついはずのアメリカが楽だった。多分、その前のモナコの時差が治らないうちだったので、差し引き地球を東周りしたのと同じ状況だったのではないかと思う。ヨーロッパからアメリカ、日本からヨーロッパに行くのは、早起きすればいいだけなので楽。ということからすると、本来アメリカはずだが、無茶をしていると時にはこうしていいこともある。ホントにいいことかどうかは知らないが。

しかし、いいことばっかりではない。予算削減のためできる限り切り詰め旅行をこころがけるようになった(←随分大人になったもんだ)。その結果、フランスは民家に間借り、イギリスは80kmの遠距離通勤。しかし、フランスがサーキットから5分だったから、ここでも世の中バランスが取れていた。
イギリスは、通年ならゴルフ場の中のB&Bにお世話になるのだが、「今年は息子たちがイギリスGP見物で帰ってくるので部屋がないけどゴメンね」という事実が発覚したのは6月になってからという土壇場だったので、インターネットで探しまくり、ノーザンプトンを基点に探して、50km圏内に39ポンドのホテルを発見した。シルバーストンの近くだと下手すると200ポンド(52000円!!!)というご時世なので、ラッキーだったと言うべきか。
カナダとアメリカでは“Where2”という名前だったフロントウィンドペタンコナビは、イギリスでは“tomtom”。簡単便利な優れものだ。日本のナビは余計なことをし過ぎ。
ちなみに、フランスで友人が借りたプリウスのナビは、いちいち高速道路を降ろそうとするのには参ったが、どうやら前に借りていた人の設定が、「有料道路を避ける」になっていて、料金所毎に降ろそうとしていたことが判明した。便利な不便さだ。
しかし、他人が使うことを考えると、行き先とかそのままになっちゃってるとまずいことがおきりゃしないかと心配になった。ともあれ、レンタカーのナビは、フロントウィンドウペタンコナビに限る。日本でも開発してほしい。
イギリスで凄いことに気がついた。ホテルはレスターという街。どこかで聞いたことがあると思ったら、1982年に初めてRACラリーに来た時スタート地点だったんじゃないかと思い出して懐かしくなった。町に入るとホリデ・インホテルがあった。見たことあるぞ、と思ったら、2000年機9.11の直後にイギリス初のCARTオーバルレースがロッキンガムで開催されたときに泊まったホテルじゃないの。まてよ、てことは、毎日通った美味い中華があったはず。探したら、あった! かくて、イギリスGP決勝夜は、80kmの距離を4日間通ってよかったなぁと一人で乾杯。


6月18日

アメリカGPの翌日は、いい日だった。まず、「原稿が面白かったよ」とキンダーガーテンのI氏からのメール。

気分上々で、午後からのゴルフの約束のメールを確認して、ホテルから約40分。パブリックだけれど、フェアウエイもグリーンも綺麗に整備されているのにたったの25ドル。インディの住人か羨ましい(笑)。最初はリズムをつかめなかったけれど、午後になったら、ドライバーはそこそこ、アイアンが決まって気分も最高であった。Iさん、ありがとう。ただし、ひとつの汚点。次男にもらったオークリーのサングラスを、キャップの上から着けているのをすっかり忘れてキャップを脱いだら、ポロリと落ちてカートに踏まれてバラバラになってしまった。さすがのオークリーも、傷だらけ。宗一郎、許せ。

愕然とした気分でホテルに戻ったら、幸せなメール。琢磨インタビューの「使用快諾」の知らせ。音声をお届けできるようになった。金曜日更新の[F1をひろめよう通信/WELL]で、リズムとトーンが心地よい琢磨インタビュ−をお楽しみください。

気分が良くなったら突然ロブスターが食いたくなった。近所のスーパーでロブスターテール(10ドル弱)を買い込んで、きのことチンゲン菜炒めと共に食う。冷凍ロブスターをまずは解凍、適当に切ってガーリックソルトをまぶし、オリーブオイルでソテーして、バターを少々。かなり美味かった。しかし、このためだけに買ったバターを、捨てる勿体無さが辛い。それに、ついでに食ったチキンラーメンが、かなり美味くて嬉し哀しい(笑)。ワインも、でかいのは飲みきれないので、ロベルト・モンダビの小ビンの白と赤の2本ずつ4本セットを購入。白を1本だけ飲むつもりが、結局、全部呑んじまった。喜美ちゃん、